もふさんの奮闘記

書いてみた。

法学部卒の異業種が、ジャニヲタになり、エンタメを勉強する事になった話。

現在ちみちみと勉強しつつ、

自らファンとしてファンに対して情報やツール提供を行いつつ、

自ら様々な分野のファンになるべく楽しみつつ

まだ手が回っていないが、近いうちにファン目線として、一般に情報発信を行おうと思っている

 

先日も実家に帰る中で、合言葉の様に「趣味は趣味でしょ?」と言われる中で、ここまでやって"しまう"のには、こんな経緯がある。

 

  • バレエ時代
  • ブロードウェイに行き
  • ジャニヲタになり
  • 休職中
  • 一言
  • ヲタクと発信について考えた一件
  • 一瞬だけ在った兎に角楽しく考える時期
  • ヲタクと発信について考えた一件 - 2
  • 紆余曲折
  • 癒し
  • 転機
  • ジャニヲタとして
  • エンタメと向き合う事にした事
  • 運命のEndless Shockとの出会い
  • 出来る事から - ヲタクを通じて
  • ヲタクと発信について考えた一件 - 3
  • ずっと勉強したかったものと

 

▪︎バレエ時代

「趣味は趣味でしょ」の要因であり、既に何度も記載してきた様に「バレリーナは、芸術は、アーティストは食っていけない、の法則」。ずっと引っかかっていたが、自分は食って行きたかったので、そういうもんだと飲み込んでいた。

 

mofumofum.hatenablog.jp

 

(昨日やっと過去の自分の記事を貼り付ける方法を学んだ👼 独学だから気付くの遅い👼というか調べろ👼)

 

 

▪︎ブロードウェイに行き

大学入学と共にジャズダンスを始め、程なくして、ブロードウェイミュージカルに心を奪われる。本場で見たい!気持ちを卒業旅行で満たす。

ここでもまた既に書いているが、劇場が溢れかえる本場で、言葉を失う。なんとなくやれれば良いなと思っていた、ダンサーの卵がショーをするレストランまであった。 

もう、全然レベルが違うし、世界的にはやりたい事出来てる場所があるから、もう良い!と不貞腐れた記憶がある。

(当時のインスタの投稿を見たが、顔が出ていたので、載せられなかった、残念。)

 

mofumofum.hatenablog.jp

 

 

▪︎ジャニヲタになり

ジャニヲタになりましたネェ。(詳細略)

詳しくは以下参照。沢山お友達も出来て、ずぶずぶ沼にハマって行きました。どうやら、ヲタク向いていた様です。

 

 

沼落ちしたきっかけのドキュメンタリーの予告がまだ残ってたから、貼っときましょう。

youtu.be

 

mofumofum.hatenablog.jp

 

mofumofum.hatenablog.jp

 

グループ概要はこちら(私が作ったのですが、よかったら見てください。

lit.link

 

peraichi.com

 

 

▪︎休職中

ジャニヲタになり、約半年。何も考えられないぼろぼろな身体、空っぽな頭の中で、何故かぐるぐる頭の中を回っていたのが「何故私はこうもジャニーズが好きなのか?」と。

ここまで二十年と少し、ダンスという観点からエンタメに触れてきたものの、特定の"誰か"を、こうも応援する事はなかった。

薄々疑問に感じながらも、ヲタク活動をしていく中で、休職という何も無い期間に突入し、残ったのが、その疑問だった。面白い。そこから、先のブロードウェイやバレエの話を思い出していく。これがスタートだ。

その時はエンタメビジネスをさくっとネットサーフィンをして、私には無理だ、とすぐ手を止めた。

mofumofum.hatenablog.jp

 

 

▪︎一言

これも上記のブログ内で書いているが、休職中、「さて、仕事も駄目だし、何をやるか」と考えた時に、出てきたのが「エンタメ」。当時は「ブロードウェイに日本人アーティストが活躍できる自分の劇場を持ちたい!」なんて、考えていた。

そんな話をした時に言われた一言、「ミュージカルなんて流行らないよ」。もうね、これが決定打よ。悔しかった。結局私の原動力は悔しさ。(だから割と陽の当たらないメンバーを応援したくなるのかな。それはさておき。)

 

 

▪︎ヲタクと発信について考えた一件

今までで1番ヒットしたツイートは、「ベストカラアゲニスト」のツイート。丁度、他のメンバーがベストジーニストや、ネクストイケメンで好成績をおさめていた中、個人の仕事や称号に耐えていた閑也担として、その文脈で発信したら、カラアゲニストというコミカルさも相まって、ヒットした。

元々ハガキや要望の文化から、薄々気づいてはいたが、投げ方、文脈によって、誰かを推し上げる情報提供は需要が高いな、等と感じていた。

 

 

▪︎一瞬だけ在った兎に角楽しく考える時期

実家を飛び出し、好き勝手考えてた時も、結局エンタメの事を半分くらい考えてた気がする。 

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▪︎ヲタクと発信について考えた一件 - 2

後述の通り、紆余曲折中も、ヲタクとしての活動(含ヲタクを愛す、観察する)は続けていた。

元旦に今年は、自担の個人仕事が決まります様に、という文脈で、要望先のリストを載せた。響かなかった。

しかしながら、その後、自担以外の全てのメンバーの個人仕事が決まり、自身もかなり落ち込みながら当該ブログを貼ったところ、拡散して頂いた。確かここで閑也担さんのフォロワーが少々増えた気がする。これで確信した。ヲタクの心を動かすのは、ヲタクの気持ちの浮き沈みがわかる、ヲタクだ。と。

 

▪︎紆余曲折

そこから紆余曲折あって、また、結局エンタメに戻ってきた。

色々考えてる時も癒してくれたのは、推しであり、ヲタクだった。

 

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▪︎癒し

この時期は兎に角会うヲタクのお姉さん達(30歳前後の方と仲良くさせて頂く事が多かった。)と話しをし、救われていた。

  

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 ▪︎転機

ただ自身が楽しんで癒やされてるだけでなく、気づけば周りを布教して仲間に取り込んでいっていた。人に説明するとなると自分の中で魅力を整理する事になる。そこから、休職中に気になっていた、何故人はジャニーズに惹かれるのか、という観点から分析を始める。

よくよく考えれば、ここら辺が転機だ。ただ自分の気持ちや事実をつらつらと書き連ねるだけでなく、トラジャ担外を意識した情報発信を始めた。

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▪︎ジャニヲタとして

外に発信する上で、一番わかりやすい第一人称は、「ジャニヲタ」だった。

丁度その頃、Club Houseの流行りたてで、ジャニヲタコミュニティの中に入ろうかと思ったが、全然知識が足りなくて話についていけなかった...今のJr.しか分からないというコンプレックスを持ったまま、運命のEndless Shockに出会った為、KAT-TUNに落ちてしまう訳である。

 

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▪︎エンタメと向き合う事にした事

そんなこんなしていても、日々は過ぎていく訳で、仕事以外に結局消費者でしかない自分に嫌気がさし、仕事を頑張ろうとしても、目の前の仕事に全力投球できない事に頭を抱え、兎に角色んな人と話しをした。休職中と結論は一緒で結局エンターテイメントでしかなかった。

 

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▪︎運命のEndless Shockとの出会い

先述したKAT-TUNとの出会い以外の観点からも、shockとの出会いは大きな意味があった。兎に角エンタメと向き合うぞ!どうしたらエンタメに関われるのか、頭がパンパンだった。その勢いで行動した結果、生でshockを拝む事になる。久々に浴びる生のエンターテイメント。オーラ。あぁ、生しか勝たん。

夢中になってしまった。一杯考えたいのに、頭の中は生で見たエンタメの興奮で訳がわからなくなっていた。そんな時にいつものサウジの友人から一言。やりたい事をやりな。難しく考えるな、と。号泣しながら、生のエンターテイメントで、私自身が救われた様に、沢山の人に笑顔を届けたい。と、私は彼女に告げた。

 

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▪︎出来る事から - ヲタクを通じて

転職やら色んな事を考えたが、結局出来る事からやっていく事にした。沢山の人に生のエンターテイメントを届けたい、中で、ひとまず、ヲタクに注目した。ヲタクは優秀な営業マンだ。企業にお金が無いなら、国からお金がないなら、消費者の影響力で消費者を増やしていけば良いのでは無いか、と。また、知人と話している中で、企業にとっての、消費者目線の重要性に気がついた。ツールとポートフォリオを作った。

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t.co

 

▪︎ヲタクと発信について考えた一件-3

友人達が案外エンタメに関わる場所で働いてるから、アピールするために作ろと思って作って、呟いた。当初はメンバーのドラマが決まっている為、周りにアピールする時に使ってね、という文脈で投げたが、たまたま公演の延期が発表された時だった。公演で会えないから、TVで推しを拝むしかない。だから、頑張ってアピールしよ、という文脈で、沢山の方に見て頂けた。文脈が兎に角大事だ。

 

▪︎ずっと勉強したかったものと

それ以外にもいつ飛び込んでも良い様に、ずっと勉強したかったマーケティング関連の情報収集や、エンタメに纏わる自分の中の何故を解決する為に、関係者に話しを聞いたり、情報収集を始めた。どうやら私は芸術的観点よりも、ビジネス的観点の方が興味がある様だ。商学部に入っておけばよかったな、と思う事は沢山あるけど、今の人脈、今の仕事があるのは、過去の自分のお陰。 

正直今すぐ何が出来る訳ではないし、正解はないから動いていないと不安になってしまう事もあるが、そんな時もエンタメは癒しになってくれる。

 

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エンタメ履歴 - 3歳からTravis Japanに出会うまで

昨日似た様なエンタメ経歴を持つ、某エンタメ会社勤務の後輩と話していて、自分の色んな事を思い出したので、書く。

3歳の頃からバレエを始める。小学5年生頃中学受験を決める。当時、コンクール等どんどんレッスン頻度が多くなる中、得意なのは勉強、将来に役に立つのは勉強という事で、お教室を変え、レッスン頻度を落とす。頻度を落としながらも、中学受験、高校特待生試験、大学受験期も両立をし、大学1年生では、ジャズダンスサークルと両立。

小学2年生で初めて、バレエ団の子役オーディションに挑戦も落選。5年生の際に念願叶って出演。その際の金平糖の女王を務めてらしたバレエ団トップのバレエダンサーさえも、生活に苦労している事実、ダンサーとして食っていく厳しさを知る。バレエはいつだって趣味だった。

大学進学時、受験に失敗したらディズニーダンサーの試験を受けようと思った。それだけ、ワンマンズドリームが好きだった。要綱に書いてあったのは、バレエともう一つ、ジャズダンスだった。

運良く一般受験よりも前に受験を終わらせ、HPでサークルを調べているとなんとジャズダンスサークルが見つかった。週2回、遠距離通学でも通える。

高校時代からずっとYouTubeで洋楽を調べていた。大学時代も通学時や家にいる時間に調べていて出会ったのが、sing sing sing、NE-YOのFriend Like Me。短期留学の帰りの飛行機で、Chicagoの映画に出会った。

今まで趣味は読書とバレエ、部活は茶道部。どれもなんかしっくり来なかった。だけど、Chicagoを観た時に、これだ!と思った。ブロードウェイミュージカル。初めてミュージカルに出会ったのは恐らく小学生の時に連れてって貰ったUSJのWICKED。その後、自身も子役オーディションを受けた経験から子役に魅せられ、アニーや、Billy Elliotに足を運んだり、映画アラジンに魅せられれば、四季のチケットを頑張って入手した。ブロードウェイにも足を運んだ。

細々とミュージカルが好きだった。趣味と言って良いか分からない程、ただのミュージカルが好きな人だった。

夢のHollywoodに出会った...。

そうだ。人生出来るか出来ないかじゃなくて、やるか、やらないか、だった。

想い (前の記事より)

私の夢は、ステージ文化を若者に根付かせる事。そしたら、エンタメ業界にお金が入る。今苦しんでるパフォーマーにお金が入る。より良い作品が生まれる。私はそれを楽しめる。私はSHOCKよりも更に凄い日本の作品を見続けたい。そして、その主演はトラジャであって欲しい。その舞台を胸を張って、ブロードウェイなり、Hollywoodなりにプロモーションしたい。Hawaiiでデビュー会見をした嵐のその先へ。国民的アイドルのその先へ。そこにひとかじりでも食いつきたい。出来ないかもしれないけど、やってみなきゃ分かんない。

 

携わりたい事

・人の話を聞く事

・人と人を繋げる事

・勝手にTravis Japanを売り込む事

・ジャニーズのショービジネス的観点のPR

・日本文化の海外輸出

・日本アイドルの海外進出

・舞台鑑賞の一般化

・エンタメ産業の振興

パフォーマー支援

・パフォーマンス力の底上げ

 

やりたい職種

マーケティング

・経営戦略

・広報

・セールス (人材紹介含)

・ライター

 

まず、やる事

マーケティングの社会人大学院

・舞台製作側の経験

・業界人達から話を聞く

・各企業のマーケ担当者と話す

・ブログ更新継続

・英語が話せる様になる

・鑑賞→言語化し続ける

 

やらなくちゃいけないと思ってる事

ファイナンス

 

会いたい・話したい人

上記に関わる関わらない全ての面白い人

全ての私に関心を持ってくれる人

今の私はヲタク以外になれない - TJをHollywoodに連れて行く日まで

自分語りです。考え詰めた半年間だったけど、ヲタク・自担・自軍・エンタメに救われて、本気で生きようと現時点で行き着いた先が、エンタメに関わってみる、という事でした。

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フォロワさんに恐ろしかったよ、と言われる位昨年夏から秋にかけて、心配を掛けました。合わない仕事だったのに、かなり厳しい環境で、ポッキリ心が折れました。本当に生きてる意味が無いと思って逃げ出せたのは、何回も言うけど閑也君のおかげで。

小学校高学年の頃からキャリア志向を強く持っていたと思う。バレエか?勉強か?勉強だ。と思って勉強をしてきた。だから、自分が望む環境の会社に入れた時、仕事で上を目指す事なんて言うまでもなく当たり前で、後考える事は結婚くらいだと思っていた。

そんな私が会社を休んでしまった。何があっても会社だけは来い。来れなくなったら終わりだ。新入社員時代、先輩から言われた言葉。当時2年目だった先輩も、病んで休職を余儀なくされる社員を見て、思うところがあったんだろう。

本当に終わったと思った。でも実際には終わってなんかなくて、沢山の方のお陰で会社に戻れた。でも、それでも、仕事で頑張るという事自体が怖くなってしまって、必死で他の事を探した。でもうまくいかなかった。

どう生きれば良いのか分からなかったけど、TLには人生の先輩が沢山いた。まだ自分は若くて、未熟だと思った。捕まえては話した。自信が無い時に閑也君のROTがあった。結局ヲタクでしかなかったし、ヲタクが支えだった。

とりあえず考えてみても納得のいく回答は出なくて、ヲタクしかなかったから、一生懸命ヲタクを楽しんだ。ROTの最終回を見て、SHOCKを観に行った。興奮して寝れなくてご飯も食べられなくて、感想文書いて、それをもとにヲタクと話した。楽しかったけど、楽し過ぎてまじで疲れた。携帯を置いた。

ふと、新入社員時代を思い出す。あぁやっぱ頑張らないと、がむしゃらにやってきた自分に失礼だと思った。頑張るなら人を笑顔にしたいと思った。トラジャの影響と、私のフォロワさんなら分かる、私の大好きな愉快な閑也担の影響だ。

どうしたら自分が納得できる場所で、精一杯人を笑顔にする事が出来るのか、その閑也担や、キスマイに落ちたばかりの先輩や、ホテルマンやら公務員やら、食品メーカーやら、一通り思い当たる職業の人達に話を聞いた。1週間で9人と話した。何故か最後の3人は、トップランカーの営業マンだった。

自分の3年後を描け。自分の30歳を描け、と言われた。何も描けなかった。マーケやら新規事業やら、勉強やら、色々な魅力的な選択肢を提示された。でも1つを選ぶ勇気なんかなかった。自信もなかった。

最後に話を聞いたのは、40手前の実業家だった。今の会社にも貴方が楽しめる方法がある。今の会社にいながら、自分でやるのも良い。転職するのも良い。決めるのは自分だよ。と言われた。

決められるのは貴方が凄い人だからだよ、と思った。貴方は凄くて、私は凄く無い。だから、何で凄いのか聞いた。理由を聞いて、貴方と私はレベルが違う事が分かれば、決める事から逃げられると思った。

何で新卒時代トップセールスを取れたんですか、と聞いた。勢いがあったから、と返ってきた。丁寧に向き不向きを考えても、勢いには敵わないんだと思った。なんだ、勢いかよ、と思った。でも本当だと思った。

だから、恥ずかしくて言った事がなかったけど、やりたい気持ちだけはめちゃめちゃある、ある夢を語った。

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自分の将来は何も描けなかったけど、やりたい事は分かっていた。実家に帰って、身体も心もボロボロで、片田舎で何も出来なくて、転職活動しては体調を更に壊してた中、何故かどうしてミュージカルが日本に根付かないのか悔しくて、調べて、気付いたらブログを再開していた。あの記事**は確か、どうしたら良いのさ。誰か教えてよ。で終わっていた。

半年後、教えてくれる人が現れた。もしかしたら、夢は実現出来るかもしれないと思った。半年間で考える力がついた。荒削りだけど、企画書を提出する先さえあれば、私担当者になれる、と思った。若者に劇場に通うのはカッコ良いと思う文化を根付かせたい。

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そんな夢を話した。何悩んでるの?やりなよって言われた。でも、私にはキャリアがない。自信も無い。考え詰めた結果、疲れてしまった。また、携帯を置いた。

考えて、満足した。と思った。このままで良いと思った。そしたらね、これまた大好きな如恵留担の姉さんの言葉が、響くのよ。30歳で肩の荷を降ろせるのは、20代ガムシャラやった人の特権だよ。もがきな、20代って。

気付いた。30歳の自分、描けないんじゃなくて、描かなかったんだって。あ、このまま行くと何も変わらない。悩み続けるって。だから、その人の言う通り、やってみる事にした。

でも魅力的な選択肢は沢山あるけど、一つを選ぶのは怖い。通用するのか分からないから怖い。だったら、全部やれば良いんじゃ無いか、と思った。

今の仕事でも挑戦したい事はある。DXを手掛けたい。/ ブログやツイートで反響を得るコンテンツを作るのが好きだ。そのまま続けろ。/ マーケティングに興味があった。勉強できるツールなら人事時代から知っている。/ 本気で転職するなら、近くにその道のプロはいる。/今の仕事も転職も怖いならやってきた仕事の箔をつける資格を取れ。/自分が制作広報の立場に立った事無いのが怖いなら、立てば良い。場ならある。

そう。私は幸にして、自分が作れる場がすぐそこにあった。起きてから連絡しようかと思ったけど、その方は仕事に出て行ってしまう。夜に頭出しだけして寝た。幸、ポストが空いてた。やるぞ、私は。プロの広告マンがゴロゴロしている公演で、制作、広報をするんだ。勉強しながらやってみる。そこでコネクションを作る。

上手くいかなかったら、時機を見ながら、鑑賞しつつ勉強しつつ、ここで発信しつつ、今の仕事で成果を出す。上手く行ったら、その世界に飛び込んで企画書出す。シンプルだ。

結局キャリア志向のOLが折れたら、残ったのはヲタクとしてエンタメを愛する心だけで。やってみなきゃ分からなくて。受け入れられたらそこで頑張るし、受け入れられなかったら、ヲタクをしながら、虎視眈々といつチャンスが来ても良い様に準備をする。

私の夢は、ステージ文化を若者に根付かせる事。そしたら、エンタメ業界にお金が入る。今苦しんでるパフォーマーにお金が入る。より良い作品が生まれる。私はそれを楽しめる。私はSHOCKよりも更に凄い日本の作品を見続けたい。そして、その主演はトラジャであって欲しい。その舞台を胸を張って、ブロードウェイなり、Hollywoodなりにプロモーションしたい。Hawaiiでデビュー会見をした嵐のその先へ。国民的アイドルのその先へ。そこにひとかじりでも食いつきたい。出来ないかもしれないけど、やってみなきゃ分かんない。

 

それに、何より、ヲタクは、

ヲタクと言うものは、夢を信じて

追い続けられる存在だから

ただお花畑じゃなくて

自分の利益になる様に動く

そんな存在だから

私は

ヲタクとして

自己実現をしたい。

 

** https://mofumofum.hatenablog.jp/entry/2020/11/11/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%92%E4%BA%A4%E3%81%88%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F_-_%E6%97%A5%E6%9C%AC

 

最近ふと思い出す好きな話

❶ 最近結構松浦景子ちゃんのYouTubeを観るのだけど、彼女の質問コーナー回で凄く好きな回答があって、

バレエと勉強の両立に関する質問だったんだけど、景子ちゃんは両立しな!大人になったらな、もう両立どころじゃ無いのよ!って言ってて、うんうん、となった。

バレエ辞めなくて良かったし、続けてきたものは味方してくれる。

 

❷ バチェロレッテオープニングだけ見た。

(男性紹介の筋トレ映像に耐えられなくなってしまって続きが見れなかった。何でだろ?)

萌子さんが小さい頃から習い事を沢山してきた。だから、今も色んな事に挑戦するのが当たり前!って言っていて、良いな、と思った。

沢山やったらどれも中途半端で良くない、という教えで育ったけど、極めなくても沢山の事を体験すると、単純に体力も精神力もつくし、新しい事に臆する事なく挑戦できる様になるんだな、と思った。まぁ、その分大変なんだけどね。

勿論狭く深くも良いけどね!でも、深く広くの方も沢山いらっしゃるから!

 

❸ 塾の恩師の言葉。その先生が貴方なら慶應行けるよ!って言ってくれたから今があるんだけど。(片田舎で早慶なんかまずいなかった。憧れは青学だった。) その先生に受験期に男性と組むか相談した時に、何言ってんのやりなさいよ!忙しい方が燃えるでしょ!って言われた事。

本当にその通りだなぁと今とても思うし、見抜く先生凄い。良い先生って凄い。

 

何が言いたかったかって、趣味に全力注いだら、仕事も全力注ぎたくなったのって多分勉強とバレエ両立してたからかもな、なんて。

人権再建工事丸5ヵ月

生きてる意味が分からないから、取り敢えず逃げよ🎶 となってから、5ヵ月。

 

10月

(心身) 1ヵ月の休業期間中、1週間は呼吸の大半が溜息。3週間は具合が悪かった。

(キャリア) 上に向かって泳ぐ必要も無いのか。転職活動をしたらストレスで更に体調悪化。あの時転職はまだするな、と止めて下さった全ての方に感謝。

(趣味) 推しがいたから生きてた。

 

11月

(心身) 休業1ヶ月で仕事に復帰したけど、その後1ヶ月は職場も社員も怖かった。

(趣味) 仕事は暇で、推しの事を考え、書いた。

 

12月

(心身) 復帰して1ヶ月も経てば、既に実家にいられない位刺激に飢えていて、その後1ヶ月は刺激をかき集められるだけ集めていた。

仕事以外の拠り所を求めるのに焦っていたのもあったけど、単純に刺激が無いと生きていけないんだと思う。

(趣味) それどころじゃない位。でもそれで良い

 

1月

(心身) 底落ちした心は、いつもみたく刺激をかき集めてもがくだけでは、駄目だった。100%で無い心に刺激は、鋭利で、余計自信を失った。辛かった。

(趣味) 重いテーマが多く、自分に重ねて考察。ここら辺から趣味がより一層存在感を増す。

 

2月

(心身) 色々ありつつもやはりエネルギーを取り戻していく。12月以降元気だ。

(キャリア) だけど仕事に発散できない。ブログだけが育っていく。書く事を仕事にするのか?私の中に何があるんだ?燻った。燻っても何も解決しない。

(志向性) 自分に何の能力があって、どこで力を試せるのか、ではなく、誰に対して、何をしたいのか、に視点が変わる。

(趣味) 大好きな作品に出会った。翌日ご飯も喉を通らない位、惚れ込んだ。全エネルギーを趣味に注ぎ込んだ瞬間。一旦私のヲタク魂はピークアウトした。

 

...携帯を置いて、1人湯船の中、天井を見上げると、入社当初の記憶が蘇ってきた。もうすぐ、春だ。

しあわ〜せ〜と〜は〜【備忘】

星がふ〜る夜に〜願い〜を込めた〜(以下略)では無く。

誰かを思って仕事をしたい。+を生み出す仕事をしたいと方向性が決まった先週末金曜日。

あの日から今晩(月曜)までの4日間、CAさん、観光施設勤務、webディレクター、ホテルマン、都庁勤務。と、自分より to C、生活者に近い仕事をしている友人知人5人に話を伺った。

5人中3人は、元々予定していた訳ではなく、連絡して直ぐに話を聞かせてくれた。この場を借りて感謝😭 (内訳は高校、ヲタク、サークル、副専攻と様々)

まだこの先も様々な仕事をしている友人に、お話を聞かせて頂く予定はあるのだけど、上記の要件に当てはまる仕事の幅広さを思い知らされる日々。

果たして、私のその想いの原点はどこだったっけ?聞いてきた話から感じた事って何だったっけ?と言う備忘。

 

• 企業理念は大事かもしれない

自分が今それに関わる部署にいるからか、重要性を感じる。会社としての方針はあくまで理念に基づいて、社長のメッセージが発せられ、経営層の判断、指示が行われていると感じる。

だからこそ、相手を感じる理念を掲げていて、浸透している会社が良いと思った。

それを聞いてみるとやはりそうらしい。確認できてよかった。

 

・誰かの事を念頭に、どの深さ?どの点で?

公務員と観光施設勤務。どちらも目の前の相手の事を考えてサービスを提供するのは一緒だが、生活の根本か、非日常か、提供するサービスはまるで正反対だ。

そこにwebディレクターの彼女から聞いた要素を加えると、生活か、レジャーか、ユーザビリティか。当たり前だけど色々な話を聞く程、偏にBtoCといえど(web制作はBtoBtoCだけど)、我々は様々な職種の方々の懸命な勤務によって、幸せで快適で不安の無い日々を送れている事に気付く。

 

・何を提供したいと思ったんだっけ?

上段を書いていたら言語化されたのだけど、(だから書くのが好き) そもそも私は広く言えば人の笑顔に通じる仕事をしたいと思った。それは当たり前が当たり前にある幸せ、や、不自由の無さ、では無く、張り詰めた日常をほっとやわらぐ様なモノを提供したいと思ったんだ。

 

・接客のバイトしてよかったな

ぼーっと考えた時、学生時代ワッフル屋さんでバイトしてた時の事を思い出した。

勿論手土産で急いでる方もいたけれど、大抵は美味しそうな匂い、見た目にそそられてニコニコ歩み寄ってくるお客さん。毎週金曜日、18時頃にいつも抹茶味を含めた4つ以上のワッフルを買いに来るおじさん。顔を覚えたから、いつもありがとうございます!って挨拶したら、驚いた顔をしてたっけ。常連さんはキャンペーンのシールとかすぐ集まるから、ちょっと恥ずかしそうに、申し訳なさそうにしてたっけ。

その記憶から接客に興味を持った。

また、嬉しそうなお客さんの顔を思い出し、私も生活の三大幸せは、喋る・食べる・エンタメなので、そんな"食"に携わりたいな、と少し関心を持った。彼から現実の話を聞いてはいるけども、明日食品メーカー勤務の同期に話を聞ける。楽しみ。

 

・原点

誰かの心をほだしたい。そう具体的に思う様になったのは、ブログを書く様になってから。読んで、面白い。考えるきっかけになったって言って貰えたのが本当に嬉しかった。私にも人の多忙な日々から抜けられる瞬間を生み出せるんだ、って。

 

・幸せにしたいって原点思い出した

多分最初は、救いたい、だったんだと思う。心を救いたかった。何故なら自分自身が救われたから。

心がぽっきり折れた時に大好きな先輩達が、実は自分もね、、、と話してくれた。それだけで救われた。ありがとうございます。ありがとうございます。って泣きながら送ると返ってくる言葉はいつも、元気になったら、今度はあなたが助ける番だよって。

その時に分かった事は、人の心って自分の体験を話してあげるだけで、救う事が出来て。大きな感動じゃ無くて、たった小さな息抜きが、がんじがらめの緊張感を解けるんだと。

そんな思いをきっと心の底でずっと抱いていたんだな、と思い出した。そこから周りの影響を受けて、幸せ、という言葉に行き着いた。

 

・感動を届ける事との違い

今日高校の友人と話していて、そんなにエンタメが好きなら、いつか叶えられるのでは?と言われた。

考えた事なかった!と思ったけど、何で自分が製作側に回る事を考えた事が無かったか思い出した。小さい頃から、感動には完成度と物凄い労力と才能と経験が必要だと知っていたから。

今みたいに全力でエンタメに魂を燃やし続けていたら、もしかしたらいつの日か叶えられるかもしれない。

でも、仕事を通じて"幸せ"を届けるという意味においては、今からスタートしたかった。

感動の域までいけば最高だが、人を救うのはもっと小さな幸せな気がしてる。大きな感動は時として元気な時にしか受け止められなかったりするから。

 

メモ完。

 

 

私にとってジャニヲタとは何なのか

酔っ払っています。私は、今。何故なら大賞の発表の日だったから。(無視してください)

常々言ってるのですが、ジャニヲタになって人生変わったと思っていて。勿論良い方向にね。ずっと書きたかったのでジャニヲタについて書きますね。

 

▪︎ヲタク加速

ステージが好き・人について知る事に喜びを覚える・熱量を持って向き合う事が好き ・熱量の高い人と話すのが好き・ストーリーが好き。

トラジャのステージが好き→熱量を持って語ったら、ストーリーに出会った→熱量加速→共有したい→沢山の熱量を持った同志との出会い→トラジャ以外の沢山の世界を教えて貰う→特定の人の事深く知るの楽しい!新しくその人の事を知るの楽しい!→熱量加速

このエコサイクルがぐるぐる回っている。しかも対象がジャニーズだけでなく、一緒にヲタクしているフォロワさんにまで至ってるからどんどん楽しくなる訳で。

 

▪︎ジャニヲタと私

大前提として私の周りのヲタクは皆優しいんですよ。あとヲタクは仕事と違って、う〜んと思えばTwitterから消えれば良いだけなので、気が楽です。ただ推しについて話しているだけの筈だったのに、意気投合すると実際に話したくなってしまって、それを機にどんどんお互いについて知っていくのも楽しいですね。

あとは、私の場合はTwitterから始まる仲が中心なので、地方に友達が出来るのが嬉しい!変な言い方ですけど、日本が小さくなった感覚がします。

年齢もバラバラで。歳上のお姉さんに可愛がって頂く機会も、歳下の子と話す機会も平等にあって。歳上のお姉さんには人生相談するし、歳下の子には就活相談に乗ったり、そういうのも楽しい。同い年とは悩みを共有したりね。

寂しくなくなるんですよ。これは本当に大きかった。

勿論それだけじゃなくて、良い影響を沢山受ける。20代半ばポッキリ荒れてた心もお姉さん達、友達のお陰でまだまだやってやるぜ!モードになった。これは本当。

 

▪︎優勝経験 (酔って書いてます(再掲

もう、私、ジャニヲタになってから何度優勝した事か。もう、やっぱり閑也君のビジュが良ければ優勝。メンバーのビジュが良ければ優勝。ブログに閑也君の写真が載れば優勝。しめしずが載れば麻痺。仕事が決まれば優勝。仕事中の閑也君を見ては涙。雑誌を買っては優勝。ヲタクにならなければ、こんな優勝できないよ、人生。

しかも優勝を分かち合えるんですよ、、、(大賞結果発表後で浮かれてるので、許してくれ本当に、、、

 

▪︎ヲタクを通して手に入れたもの

推し達から貰える幸せ、ヲタ友から貰える幸せ、リア友と共通の話題を持つ事で旧交を温めるきっかけを与えてくれるもの。それ以外に大きなものを手に入れた。

私は本当に性格が悪いので、人生楽しんだもん勝ち!とか、遊びこそ真剣なれ!みたいな言葉程薄っぺらいなと思ってたんですよ。キャリアis至高。尖ってた頃ののえる君みたいな考え方だった。

でも一回折れてみて、暇で、気づけばトラジャの事を考えてて、何でこんなにトラジャの事を思ってしまうか考え抜いたら気付けば書いてた。書いたものをきっかけに更にヲタクの輪が広がった。

 

▪︎人生楽しいんですよ

書く事で自分のモヤモヤを昇華できた。今割と目の前は開けている。これは本当に大きい。

そう言った個人の事だけじゃなくて、考えて書く、考えて書くを繰り返してたら、気付けば自分のエンタメに対する価値観や原体験が整理されていた。それを元に有識者の知人を沼に引きずり、一緒にディスカッションするのが本当に楽しい😭

今度の夏は2年ぶりに踊るのだけど、ジャニーズの舞台を1年間しこたま観たお陰で、制作側の観点でも話ができるようになった!好きを突き詰めれば、諦めてた遊びでしかなかった好きも、生き甲斐として主体的に関われるんだ!

 

3歳から憧れてたけど、私は勉強の方が得意だったからエンタメに関わる事を早々に諦めてた。小学生高学年の頃には。

 

でも小学生の頃から夢見たハイキャリア思考で一旦折れたジャニヲタは、円盤を見続け、大学時代の憧れの先輩と舞台制作の話ができる。

 

ハイキャリア以外の思考でも柔軟に人生の事考えられる様になった。魅了してくれてありがとう、夢のハリウッド。トラビスジャパン。吉澤閑也君。

 

ありがとう!全ての私に関わるヲタク!!

 

ジャニヲタって趣味なのか生き甲斐なのかライフスタイルなのか分からないし、世間的には白い目で見られる事も多いけど、それだけ人を虜にする最高のエンターテイメントだし、そこに思うままにずぶずぶになったらなったで、人は救われるし、新しい道を見出せる!

 

ソウルフル・ワールドと私

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見終えました。ここ半年どう生きれば良いかずっと頭を抱えていた私、を、隣で黙ってずっと肯定しつつ見守ってきた後輩から勧められた映画。

そんなうだうだ考えてしまう貴方には、ソウルフル・ワールドを勧めたい、と。

映画の趣旨としては、人生には職業単位での目的など無く、当たり前の生活の一瞬一瞬が煌めきで、それを大事にすれば良いんだよ、というものでした。

題材は違うけど、about timeを思い出した。

この映画を観た後の正解の感想は、目の前の現状や職についてうだうだ考えるのでは無く、日々生活できている今が素晴らしきもので溢れてるんだから、小さな幸せに目を向けよう!なんだろうと思う。

でも絶賛考え中の私はやっぱりまだ色々考えてしまうんだ。

というのは一旦置いておいて。PIXARの映画って子供向けだと思っていたけど、大人が見るからこそ色んなものを考えさせられる作品なんだなぁと。

一概に子供が楽しめるエンターテイメントこそ、大人になった今、まっさらな気持ちで自分の中に抱えているもやもやと改めて向き合う機会を提供してくれるものなのかもしれない、と。

あとは、この職・夢・生活といった普遍的かつ掴み所のないテーマを分かりやすく表現する上での、発想の柔軟さ、世界観の独自性、表現の細やかさ、PIXARぁあとなりました。(語彙力の不足) 心持ちという形の見えないテーマにアプローチするとても素敵で高度な作品なんだな、と。分からないながら、思いました。PIXAR凄いぞ、、、

内容の話に戻ろう。この映画の中に出てくるきらめき、単に当たり前の日常に潜む幸せそのもの (これがメジャーな解釈だと思う。) ではない、と思った。

当たり前の日常に潜む幸せそのものがきらめきなのであれば、22番はじめ、生まれてくる前の魂達は探す必要がない。

つまり、きらめきを得る瞬間とは、"気付き"なのである、と。何に心をときめかすか、という"価値観"の様なものであり、"目的"では無いし、特定の職業なんて言うのは、目的の更に一段下にある"手段"にしか過ぎないのだ、と。

職業という手段によって自己実現を果たそうとしていたジョーは、この間までの何の職種につけば自己実現が出来るか、頭を抱えていた自分かの様に思えた。

それと同時に、それぞれの生前の魂には、特定の経験をきっかけにきらめきが生まれるわけで、ジョーの場合のきらめきとは一体何だったのかが気になった。(作り手側が観客に想定する着眼点とはズレるだろうが)(とことん私理屈っぽいな

また、ジョーがジャズピアニストという彼の人生の目的、夢に辿り着いて初めて目が覚めた通り、人間取り憑かれている何かに対し、自分の納得する域まで到達して初めて、目が醒める様な生き物なのだ、と。

あのシーンを見た時に、とある30歳のお姉さんから言われた印象的な一言を思い出した。30歳になるとね、色んな背負ってたものを降ろして楽になれるって芸能人が言ってたから、少し期待してたの。でも何も変わらなかった。あれは、20代死ぬ程もがいた人が到達する境地なんだと思う。だから、20代もがけるうちに、もがいておきな、と。

私は、自分自身を、ようやっと、職業やステータスといったポジションではなく、自分自身がのめり込める状態、価値観の様なものに近づけたと思っている。だから、それを実現できる手段を早く見つけて、そこで納得できるまで働いてみたい。

そしたらまた、ジョーの様に目が醒めるかもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。それはその時になってみないと分からない。

人生を選ぶのか、生活を選ぶのか。今恵まれた生活の中でも抑えきれないもやもやを抱える20代として、やはり仕事で活躍したい。やらない後悔よりやる後悔で、まだまだ広がる可能性の海を泳いでいきたい。

私には今安定している仕事もある、相手もいない。トップ企業で活躍している友人もいれば、地方で夢を膨らませている腹心の友もいる。まだまだ面白い事はある。きっと大丈夫。やりたい事はいくらでも思い浮かべても、実行しても良い。前を向いて行こう。

 

過程

何か他の事を頑張らなきゃいけない。兎に角人に会って話を聞きたい。

考えに考えた。人と沢山話した。考えた事を書いた。好きな物を見続け、話し続けた。書いた。この、ブログという媒体が気付けば育っていた。

1番最初に書いた私の沼落ちブログは、トラジャ、沼落ち、で検索すると1番上に表示にされるようになった。

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自分の家族を持ちたいと思ったけど、目的意識で恋愛はするものじゃない。

自分に期待しないようにしようとした。辛かった。

自信は無くも自分を好きでいよう。得意な事をし続けて、仕事にしようと思った。でも違った。

仕事にしなくても良い。楽しめば良いと思った。同時に自分自身がキャリアで輝かなくてはいけないという呪縛から解かれた。だから好きな事を楽しみながらやっていた。

コンテンツメーカーに憧れた。もふさんの奮闘記の検索順位が上がってきた。けど執心するのは違った。自分の考えた記録の為にブログを書き始めたんだった。

ふと、ギラギラしてた新入社員時代を思い出した。あぁ、認められたくて、ガムシャラにやってる事が評価されてきた人だったな、と。自分、仕事大好きで、活躍したかったんだ。と思い出す。

ぼろぼろになってたから気付かなかったけど、私はあの時ただその場から逃げたんじゃ無くて、夢にみた活躍したかった場所、信じてやまなかったキャリアから外れたんだ、と今更気付く。あぁ、私は悔しかったんだね、と。

でも逃げてから一度だって悔しさに溺れた事はなかった。あの頃とは違うんだな、少し寂しく、また過去の自分を愛おしく感じた。

人に認められる事を目的に仕事はしないけども、活躍しようと思えた。過去の自分の為にね。

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何の為に生きてるのか、もそうだけど、好きな物を見続けてると、その対象の言葉は刷り込まれる。やがて思考になる。

見続けてる対象だけでなく、横で一緒に見てる人の言葉、思考も刷り込まれる。

見てるものがエンタメだからか、心を動かされるのが感動によるものだからか。

それともブログを通じて、人に楽しんでもらえたり、面白がってもらえたり、人に考えるきっかけになったよ、と言われたのが嬉しかったからか。

それとも人に認められたい、という枷を外してから、自分の感情というものに素直に向き合うようになったからか。

人の喜ぶ顔が見たいと思った。オフィスで働いてる時も、ちょっと気を利かせてちょろちょろ走り回って仕事をするのが好きだった。

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何の為に活躍するかが問題だった。

浅かった呼吸、やたら大きかった胸の鼓動は収まった。

遅いと怒られたく無くてスピードだけを求め、気が重いながらにしてた仕事も、仕事の目的を思い出し、丁寧にできる余裕ができたし、後輩にも細かく声をかけられるようになった。

でも何の為に活躍するか、の理由が必要だった。私は貪欲だから生活のため、以上の理由が必要だったし、それだけ承認欲求が過去の自分の大部分を占めていた。

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コンテンツメーカーに憧れていた。おもろい事をして、その話をしておもろがってもらえるのは好きだった。

でもおもろの為にブログは更新できなかったし、おもろコンテンツメーカーの最たるYouTuberを眺めていても、違った。

更新し続ければコンテンツになる。SNS、ブログ真剣にコンテンツを発信し続ければ何者かになれる。しかもコンテンツ作ろうと思えば作れる事に気がついた。

でも、コンテンツを発信しつつ楽しんでもらいつつ、有名になる、のはやっぱり承認欲求に突き動かされる部分があり、ちょっと苦しかった。

 

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勧められたディズニー+にお試し加入した。シンデレラ城のイラストを見て、あぁ、となった。SHOCKを思い出した。

コンテンツと作品は違ったなぁって。人を感動させるものづくりに携わりたい、と思った。でも思い描くものづくりの場に私はいなかった。

自分の手がけたもので人の笑顔を受け取りたい。ふと、ワッフル屋さんでのバイトを思い出す。毎週来てくれたお客さん。

人の笑顔の為に活躍したいな。身近に働く中で沢山感じたい。

自己肯定感〜

今日も切羽詰まりながら仕事してて、ふと先日話してたお姉さんの言葉を思い出して気付いたけど、自己肯定感めっちゃ低いんだな今

 

もふちゃんだから落ち込んじゃうんだよって言われてその時はよく分からなかったんだけど、めっちゃ自問自答して自分を責めてる自分に気が付いた。

 

輝くアイドル達見てても焦っちゃうんだよね。新しい仕事決まるのは嬉しいはずなのに、比べちゃう。

 

そもそもこんな自分は全然駄目だから、大変革を遂げるなりなんなりしなくちゃいけないと思っては、人の話を聞いて比べて落ち込んで。

 

自分が楽しかった事をSNSにあげては、こんな事する暇な生産性のない人間は私くらいだ、って凹む。

 

なんでこんなになっちゃったんだろって考えれば、要因は浮かぶ。

けどその要因に対して、他の人はもっと辛い言葉言われても頑張ってるのに、こんな自分情けない。になってしまう。

駄目だ。人は人、自分は自分。比べても駄目。自分の人生は自分のもの。自由に生きなきゃだめ。

 

後輩に彼氏は自己肯定感のセーフティネットって言われてあんまりよく分からなかったけど、そういう事かぁって思った。でもまぁそこに関しては焦らないけど。

 

ネガティブなのは自分を苦しめるし、脳内で考える言葉は気をつけなって言われたから、意識的に排除していこう。🥺

 

 

誠実って言葉をよく使うけど

よく誠実って言葉を使うんですよ。私は。一個前ので書いてて気づいたんですけど、思ってることを忠実に表現してくれる方が好きで、そういう人を誠実だと思ってるらしい。別に誠実が全部が全部そうかって、きっとそうじゃ無いんだけどね。

 

私自身もやってしまうし、私もやられてきてとても嫌な事として、相手を思って我慢して我慢して我慢して我慢して爆発する、って言うコミュニケーションの失敗あるじゃないですか。

多分あれが嫌なんですよね。言わないと分かんないし。言語化に拘る所以の一つかもしれない。

 

だから思ってる事を言ってくれるとありがたいし、楽だなと思う。気を遣えるようになれよってだけの話だけど、気を遣っても人のことは分かり切れないからね。一生懸命やれば全部その人のためになるわけでも無いし、それを一生懸命やったのに、なんで?って言われるのも辛いし。

 

まぁ、かと言って色々もろに言われると凹む弱い人間なのは面倒くさいなと思うし、ここまでの考えるクセは生きてる上で必要ないなとも思うけど。

 

でも凹んだとしても、その時その場面でビシッと言われた、ダメだよそれは。は、素直に心にも記憶にも残るし、反省できる。誠実であれ。勇気もいるし、見て見ぬふりもできるけど。

 

誠実な先輩を持てた私だったから、まぁそんだけ言われるくらい色々酷かったんだけど、そこまで酷くなかったとしても、色んな事に対して丁寧に誠実に周りには接していきたい。

 

リモートだと一言声をかけてあげるハードルも上がるし、お伺いに参上する訳にもいかないし、そういう意味では本当にやりづらくて嫌よね。人の表情読むだけでだいぶ仕事って進めやすくなるのに。画面越しじゃ得られる情報が限られすぎる。これがARになってもそう。

 

昨日久々の出社で大好きな上司に、久しぶりじゃん!元気?って声かけられて、これこれこれが好きなのよ。うちの会社の、ってちょっと涙出そうになるくらい飢えてるよね、気軽な対面コミュニケーション。

 

あとこっちは仕事以外だけど、何事も返せない熱量は弄ばずさっと身を引くのも誠実さだね。

Clubhouseを機に考えた - 声とコミュニケーションとSNS

多分がっつり考えなくても、ほわほわんて考えて書くのも好きなんだろうな。トラジャでも自分自身でも無いけど、ちょいとこちらに。

 

人と会う事のハードルが上がった。同じ空間で初めまして、もなかなかできなくなった。

 

最近知り合いが増えるのは専らネットからだ。

Club houseが出来る前は、繋がる、のはTwitterからだった。Twitterは文字が見れる。その時思った、その人が発信していいと思う範囲のその人の思いや考えが見える。

 

ただの文字のコミュニケーションだけど、嫌だなって思うこともめっちゃ仲良くなりたいと思う事もあるから不思議だ!言葉は大事。

 

それに対して、対面となると考えや思い、より先に見た目、雰囲気を最初に感じとる。考えや思い、言葉から雰囲気を感じ取るのとはまた逆だ。

 

Club houseを機に、声から繋がる機会ができた。声はどちらかというと文字より対面に近いと思った。ただの音なのだけど、早さ、高低、人への話の振り方、聞き方、情報量が多い。

対面に近しいくらい、得る情報量が多いなと思った。

 

でも顔が見えない。やっぱりなんかちょっと怖くなっちゃうんだよね。声のトーンって意図的に変えられるから。私は何に怖がってるんだろうね。

 

多分文字もコミュニケーションも感じてるところに対して誠実に表現する事なんだろうけど、全く見せないとか、本心と違う態度取る人もいる訳じゃ無い。そんなのを怖がってるのかしら?まぁ何故それを怖がるのかは分かってるからいいや。

 

それに対してTwitterから出会うと、初めまして、で声や視覚で印象が違ったとしても、でもこんな事普段考えてる人だからねって安心感がある。Twitter大好き!() マッチングアプリもそうな気がする。会う前にある程度嫌だな危ないなって人わかるじゃない。

 

少し場所を変えてInstagram。最近の子は文字を読まなくなってTwitterより Instagramじゃない?この間言われた。勿論Instagramを見るし使うけど、Instagramは文字を書く場所じゃ無いからTwitterへ。Twitterじゃ書き切れないからブログはやってきた。脱線した。

 

何言いたかったかというと、Instagramでずっと見てた方のClub houseに入ったら、全然印象違う!ってなったんだよね。視覚と少しの文字から勝手に汲み取る印象と、聴覚から感じるその人の印象が全然違った!

 

それで思う訳、私の周りの友達は視覚から得る印象と、声から得る印象ってどんな感じ?って。でもそもそもそんな事考えた事なかったし、なんせずっと話してきてる訳だからそんな事考えないのよね。不思議よね。

 

みたいな事を考えてた。声って気持ちに揺さぶられるものだから、不思議よね。あと、これも全然違うけど、カラオケ行くと嫌でも自分の声を知る事になるし、人と比較することになるから、あの場って面白いよね。

自分の声、高いと思ってたけど案外高くなかったし。低くなってきたのかな。あと場所とか言語によっても全然発生表現変わってくるよね。オモロイナ。

 

担当について考えてたら言語化から解放された

言語化から解放されたとタイトルをつけながら、ブログを書く矛盾です。が、今日話してた話がとてもよかったので書いときます。

 

なかなか目標も見つけられず、推し事すら日常になり、アイデンティティがひたすら書くことになり、そろそろ気が狂い始めた今日この頃。

 

最近は積極的に歳上のお姉さんに連絡をとって話をしてました。推し事の話だったり、他愛もない話だったりしながらも、ひたすら連絡をとってたのは、多分迷ってたからでしょう。参考になる話が聞きたかった。人生に参考も何も無いのに。

 

そんな訳で今日もお姉さんと話してた。ずっとSNSでお話ししてたけど、電話では初めまして。お話しを聞きながら、どこかでやっぱり人生のヒントを得ようとしていたんだと思う。推しを通じて繋がったのに、推しや推しのブログに照らし合わせては、自分達の事を話し合った。推しは鏡なんだね、なんて言いながら。担当って何だろうねって。

 

なかなか上手く言語化できなかった。推しについて言語化する事なんて出来ないんだ。そんな中、話の対象の幅を少し広げてお喋り。推しグループでなければ、すらすら話せる。

推しグループは思い入れが強すぎてなかなか話せないんだけど、他のグループのあの子どうなのよ?なんて話はもう井戸端会議さながら、すらすら出てくる。どんどん気になる子や知らない話が出てきて無茶苦茶面白かった。

 

そのうちふわっとどの順でメンバーを好きになったかの話になった。きっかけを話す。シーンを思い浮かべる。好きなコンビについて語る。

これこれ。

 

そのうちにふと、担当の言葉って必要な時に降ってくるよねって話になる。だから担当なのかもねって。担当の書き記した好きな言葉をお互いに話すと、分かりやすく大事にしたいものが明確になった。私は自由だった。

 

(これを書いたあと、ちょっと考えてみた。自由のその先。今のもやもやも、ストレスを感じる環境も、選択肢を複数持ててるか。って事だった。

一つに依存すると、1人に依存すると、いつそれが壊れるか分からないからね。寂しがりだし不安だし、束縛されたくも無いんだろうね。

あとは小さい頃からよく、メーカーは自前の商品が時代遅れになったら怖いと思わないのかな、とか考えてた。一つで勝負するのが怖いし、一つを見続けてたら飽きちゃう、甲斐性が無いから、沢山数が欲しいんだ。)

 

1人では自分の事は分からない。もう1人を鏡にしてもなかなか難しい。でも、2人でお互いの好きな言葉について話し合えばすぐに大事にしてる事なんてわかった。

 

お互い相手の話を聞いて自分の話をする事で整理していくタイプなんだね。お姉さんの話す言葉は、とても簡潔でわかりやすくて好きだ。

 

言葉はとっても大事だ。だけど、一人一人異なる担当から、どんなメッセージを、どんな大切な言葉を受け取るかなんて人それぞれだ。同じグループの中でもメンバーへの理解は濃淡がある。そこを無理に言語化しなくていいんだ。

 

分かりやすいキャッチフレーズをつけられたり、ストーリーを語れたとしても、その人から受け取る大事なものは、人それぞれ異なる。1人の人間が代弁できる代物ではない。担当から受け取る大切な何かは、理解するものではなく、感じるもので、そのままでいいのだ。

 

 

感情 - 心を救ってくれるのは推しとヲタクで

● 楽しいね

ヲタクになって、仕事でも無いのに、兎に角行動しちゃう。調べちゃう、書いちゃう、纏めちゃう、布教しちゃう。

自己実現を常にキャリアと結びつけてきた私は、キャリアに結びつかないこのヲタ活で湧き上がる行動欲に困惑していた。

そんな時大好きなお姉さんヲタクと、とある布教プロジェクトをやろう!という事になった。今までトラジャの魅力を周りの人に知ってもらいたくて、1人で書き書きしてたものだから、誰かと一緒にやるのはそりゃ楽しい。

話してる中で、お姉さんに、なんかこんな事、大人になって仕事以外でするとは思ってなかったし、しかも誰かと一緒にやると思ってなかった!楽しいね!ワクワクしちゃうね!みたいな言葉を頂いた。

もうね、あ〜😭って泣いた。(突然のボキャ貧)

楽しい、為だけに自分の書いたり、整理したりする力使っていいんじゃん。別に仕事にしなくても良いんじゃん。やりたくて仕方ない事が仕事じゃなくても、楽しいならそれで良いんじゃん!って思えた。

別に何かの為に生きてる訳でも、ヲタクしてる訳でも無いんだから、ちょっと仕事に近い様な行動パターンを取ってたとしても、それが楽しければ別に趣味で良いんじゃん。心から楽しめよ自分。となった。趣味に全力も最高!!

 

● トラジャが考える事と書く事という成長を与えてくれた。その結果まちゅに近づけた?

 

人を幸せにしたいと思ったのは推し達の言葉の刷り込みと、仲良いヲタクの友達の影響だ。

空っぽな時期に、考えるという行動が降ってきて、その時に幸いにも目にしていたのがトラジャだった。

正確には空っぽな時にも、トラジャが好きという気持ちだけが残っていたから、トラジャについて考える事になった。考えに考えてたら、思考に止まらなくて書く事になった。

大好きな彼らについて考えたし、彼らを考える事で沢山の自分が見えて、成長できた。そしてそんな一見分かりづらい成長を共にできる友人もいた。

空っぽだった期間とトラジャを機に考える力を養った結果、分かりやすい結果よりも自分の感情を大切にしたいと思えた。そんな自分の感情が求める先は温かみだったり、安心感だったり、安堵だったり、元々ある人に対して誠実である事、だったり、そんな事を通じて人を幸せにしたいと思えた。

まちゅくみたいに少しずつ大切にしたと思う価値観が分かったり、信条に沿って生きていきたいなって思えた。