もふさんの奮闘記

書いてみた。

しあわ〜せ〜と〜は〜【備忘】

星がふ〜る夜に〜願い〜を込めた〜(以下略)では無く。

誰かを思って仕事をしたい。+を生み出す仕事をしたいと方向性が決まった先週末金曜日。

あの日から今晩(月曜)までの4日間、CAさん、観光施設勤務、webディレクター、ホテルマン、都庁勤務。と、自分より to C、生活者に近い仕事をしている友人知人5人に話を伺った。

5人中3人は、元々予定していた訳ではなく、連絡して直ぐに話を聞かせてくれた。この場を借りて感謝😭 (内訳は高校、ヲタク、サークル、副専攻と様々)

まだこの先も様々な仕事をしている友人に、お話を聞かせて頂く予定はあるのだけど、上記の要件に当てはまる仕事の幅広さを思い知らされる日々。

果たして、私のその想いの原点はどこだったっけ?聞いてきた話から感じた事って何だったっけ?と言う備忘。

 

• 企業理念は大事かもしれない

自分が今それに関わる部署にいるからか、重要性を感じる。会社としての方針はあくまで理念に基づいて、社長のメッセージが発せられ、経営層の判断、指示が行われていると感じる。

だからこそ、相手を感じる理念を掲げていて、浸透している会社が良いと思った。

それを聞いてみるとやはりそうらしい。確認できてよかった。

 

・誰かの事を念頭に、どの深さ?どの点で?

公務員と観光施設勤務。どちらも目の前の相手の事を考えてサービスを提供するのは一緒だが、生活の根本か、非日常か、提供するサービスはまるで正反対だ。

そこにwebディレクターの彼女から聞いた要素を加えると、生活か、レジャーか、ユーザビリティか。当たり前だけど色々な話を聞く程、偏にBtoCといえど(web制作はBtoBtoCだけど)、我々は様々な職種の方々の懸命な勤務によって、幸せで快適で不安の無い日々を送れている事に気付く。

 

・何を提供したいと思ったんだっけ?

上段を書いていたら言語化されたのだけど、(だから書くのが好き) そもそも私は広く言えば人の笑顔に通じる仕事をしたいと思った。それは当たり前が当たり前にある幸せ、や、不自由の無さ、では無く、張り詰めた日常をほっとやわらぐ様なモノを提供したいと思ったんだ。

 

・接客のバイトしてよかったな

ぼーっと考えた時、学生時代ワッフル屋さんでバイトしてた時の事を思い出した。

勿論手土産で急いでる方もいたけれど、大抵は美味しそうな匂い、見た目にそそられてニコニコ歩み寄ってくるお客さん。毎週金曜日、18時頃にいつも抹茶味を含めた4つ以上のワッフルを買いに来るおじさん。顔を覚えたから、いつもありがとうございます!って挨拶したら、驚いた顔をしてたっけ。常連さんはキャンペーンのシールとかすぐ集まるから、ちょっと恥ずかしそうに、申し訳なさそうにしてたっけ。

その記憶から接客に興味を持った。

また、嬉しそうなお客さんの顔を思い出し、私も生活の三大幸せは、喋る・食べる・エンタメなので、そんな"食"に携わりたいな、と少し関心を持った。彼から現実の話を聞いてはいるけども、明日食品メーカー勤務の同期に話を聞ける。楽しみ。

 

・原点

誰かの心をほだしたい。そう具体的に思う様になったのは、ブログを書く様になってから。読んで、面白い。考えるきっかけになったって言って貰えたのが本当に嬉しかった。私にも人の多忙な日々から抜けられる瞬間を生み出せるんだ、って。

 

・幸せにしたいって原点思い出した

多分最初は、救いたい、だったんだと思う。心を救いたかった。何故なら自分自身が救われたから。

心がぽっきり折れた時に大好きな先輩達が、実は自分もね、、、と話してくれた。それだけで救われた。ありがとうございます。ありがとうございます。って泣きながら送ると返ってくる言葉はいつも、元気になったら、今度はあなたが助ける番だよって。

その時に分かった事は、人の心って自分の体験を話してあげるだけで、救う事が出来て。大きな感動じゃ無くて、たった小さな息抜きが、がんじがらめの緊張感を解けるんだと。

そんな思いをきっと心の底でずっと抱いていたんだな、と思い出した。そこから周りの影響を受けて、幸せ、という言葉に行き着いた。

 

・感動を届ける事との違い

今日高校の友人と話していて、そんなにエンタメが好きなら、いつか叶えられるのでは?と言われた。

考えた事なかった!と思ったけど、何で自分が製作側に回る事を考えた事が無かったか思い出した。小さい頃から、感動には完成度と物凄い労力と才能と経験が必要だと知っていたから。

今みたいに全力でエンタメに魂を燃やし続けていたら、もしかしたらいつの日か叶えられるかもしれない。

でも、仕事を通じて"幸せ"を届けるという意味においては、今からスタートしたかった。

感動の域までいけば最高だが、人を救うのはもっと小さな幸せな気がしてる。大きな感動は時として元気な時にしか受け止められなかったりするから。

 

メモ完。