過程
何か他の事を頑張らなきゃいけない。兎に角人に会って話を聞きたい。
考えに考えた。人と沢山話した。考えた事を書いた。好きな物を見続け、話し続けた。書いた。この、ブログという媒体が気付けば育っていた。
1番最初に書いた私の沼落ちブログは、トラジャ、沼落ち、で検索すると1番上に表示にされるようになった。
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自分の家族を持ちたいと思ったけど、目的意識で恋愛はするものじゃない。
自分に期待しないようにしようとした。辛かった。
自信は無くも自分を好きでいよう。得意な事をし続けて、仕事にしようと思った。でも違った。
仕事にしなくても良い。楽しめば良いと思った。同時に自分自身がキャリアで輝かなくてはいけないという呪縛から解かれた。だから好きな事を楽しみながらやっていた。
コンテンツメーカーに憧れた。もふさんの奮闘記の検索順位が上がってきた。けど執心するのは違った。自分の考えた記録の為にブログを書き始めたんだった。
ふと、ギラギラしてた新入社員時代を思い出した。あぁ、認められたくて、ガムシャラにやってる事が評価されてきた人だったな、と。自分、仕事大好きで、活躍したかったんだ。と思い出す。
ぼろぼろになってたから気付かなかったけど、私はあの時ただその場から逃げたんじゃ無くて、夢にみた活躍したかった場所、信じてやまなかったキャリアから外れたんだ、と今更気付く。あぁ、私は悔しかったんだね、と。
でも逃げてから一度だって悔しさに溺れた事はなかった。あの頃とは違うんだな、少し寂しく、また過去の自分を愛おしく感じた。
人に認められる事を目的に仕事はしないけども、活躍しようと思えた。過去の自分の為にね。
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何の為に生きてるのか、もそうだけど、好きな物を見続けてると、その対象の言葉は刷り込まれる。やがて思考になる。
見続けてる対象だけでなく、横で一緒に見てる人の言葉、思考も刷り込まれる。
見てるものがエンタメだからか、心を動かされるのが感動によるものだからか。
それともブログを通じて、人に楽しんでもらえたり、面白がってもらえたり、人に考えるきっかけになったよ、と言われたのが嬉しかったからか。
それとも人に認められたい、という枷を外してから、自分の感情というものに素直に向き合うようになったからか。
人の喜ぶ顔が見たいと思った。オフィスで働いてる時も、ちょっと気を利かせてちょろちょろ走り回って仕事をするのが好きだった。
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何の為に活躍するかが問題だった。
浅かった呼吸、やたら大きかった胸の鼓動は収まった。
遅いと怒られたく無くてスピードだけを求め、気が重いながらにしてた仕事も、仕事の目的を思い出し、丁寧にできる余裕ができたし、後輩にも細かく声をかけられるようになった。
でも何の為に活躍するか、の理由が必要だった。私は貪欲だから生活のため、以上の理由が必要だったし、それだけ承認欲求が過去の自分の大部分を占めていた。
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コンテンツメーカーに憧れていた。おもろい事をして、その話をしておもろがってもらえるのは好きだった。
でもおもろの為にブログは更新できなかったし、おもろコンテンツメーカーの最たるYouTuberを眺めていても、違った。
更新し続ければコンテンツになる。SNS、ブログ真剣にコンテンツを発信し続ければ何者かになれる。しかもコンテンツ作ろうと思えば作れる事に気がついた。
でも、コンテンツを発信しつつ楽しんでもらいつつ、有名になる、のはやっぱり承認欲求に突き動かされる部分があり、ちょっと苦しかった。
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勧められたディズニー+にお試し加入した。シンデレラ城のイラストを見て、あぁ、となった。SHOCKを思い出した。
コンテンツと作品は違ったなぁって。人を感動させるものづくりに携わりたい、と思った。でも思い描くものづくりの場に私はいなかった。
自分の手がけたもので人の笑顔を受け取りたい。ふと、ワッフル屋さんでのバイトを思い出す。毎週来てくれたお客さん。
人の笑顔の為に活躍したいな。身近に働く中で沢山感じたい。