もふさんの奮闘記

書いてみた。

【※ネタバレ有り】解釈系ヲタクが「推し、燃ゆ」を解釈する

Googleの紹介文で、「解釈」の文字を見た時覚悟した。私も解釈ヲタクだと気付かされた。

悲惨であると言う主人公と、同じ属性のヲタクである自分。辛いであろう感情移入を覚悟した。

イチ読者、イチヲタクである私。解釈という性に従い、この、「推し、燃ゆ」を、以下、解釈致します。

 

● 何故読んだのか

私の生活並びにヲタクとしての言動をよく知るリア友ヲタクから、

「もふさん。絶対読んで下さい。本当主人公のヲタ活描写が半端なくて、私じゃん!ってなりました。 しかも、まさにもふさんなんです!辛いんですけど、読んで下さい!」

二週に渡って強く勧められ、また、読書の感想を聞くのが好きな非ヲタの友人も読んでいると、Twitterで見かけたから読んだ。

 

● 読んでいる最中の心境の変化

【冒頭】ヲタクとしてのスタンスの近さに驚かされた。具体的には、私はこの様にブログを書いている。思わず勧めてくれた友人に、LINEした。

【終盤まで】ずっと自分と照らし合わせてた。私は主人公とここが違う。私は主人公じゃない。こんな悲痛じゃない。大丈夫。と言い聞かせてた。言い聞かせれば聞かせる程、最近の推し事に充足感を求め、逃げている自分と重なり、辛かった。

解釈のツイート、考え方、ブログを書く事、元のスタンスが同じだから、全ての行為が私自身を主人公の悲痛さに近づけてる気がして、すぐにでもアカウントを抹消したくなった。

何故なら私自身も、ここで発信する事に縋っていると突き付けられる様なものだったから。

生写真やインスタLIVEの描写があってよかった。主人公の推しは所謂一般的な(ジャニーズ外の)アイドルだと思って読めたから。

【終盤】主人公がバイトを辞めたあたりから、感情移入しなくなった。辛く無くなった。何故なら曲がりなりに私は組織に所属していて、置かれてる環境が離れたからだ。

それまでの、組織に帰属していながら、うまく生活できない、もどかしさ、苦しさは、今の自分自身も若干重なる部分があったから、余計苦しめられた。だけど主人公が社会から離れた事により、自分とは別の存在として、物語として、捉えられる様になった。

【結末】主人公の推しの脱退が発表された時、その悲惨さを思い浮かべ、主人公がどうなってしまうのか怖くなり、一瞬また読むのを投げ出しそうになった。

でも描写が丁寧で、読み進めていくうちに、推しがアイドルを辞めた経験が無い私にとってはやはり他人事で、あぁ、起承転結を付けてるのか、位に思った。起承転結が分かりやすいから受賞作なのかも、とさえ。

これが推しが1人でもアイドルを辞めたヲタク、推しグループが脱退した時をリアルタイムで追ってたヲタクだったらどれだけ辛いだろうと思いを馳せた。

 

● 読み終えてみた作品としての解釈

【読了直後の解釈】

これは、「推し」と言う、今、分かりやすくキャッチーな存在を題材にしたから、受賞したのだと思った。ヲタクに限れば、自身を写し出す鏡の様な作品だとも。

 

【友人と話し終えた後の解釈】

だけれども、勧めてくれた友人と話を進めるうちに、意見が変わった。この「推し」という題材は、あくまで例えにしか過ぎないのだ、と彼女は言った。深く納得した。

丁度彼女とは今日、現状に葛藤を抱えながらも、生活を優先している人が多い。納得できない現状に覚悟を決めて、生きている。という様な話をした。

つまり、この物語は、「推し」を一例に、熱中するものを通じて、現実からの逃避するという現代人誰しもにとって普遍的且つ、暗い底に眠っている闇を描いた作品なんだと。

 

【本稿を書き終えた後の解釈】

上段にて、「逃避」「闇」と書いたが、本稿を書き上げるに伴い、逃避でも闇でも無いと思い至った。

趣味ではなかったとして、仕事に熱中したり、家族に愛情を注いだりする全て、同じ1人の人間の掛ける時間であり、想いである。

主人公は痛ましく描写されているが、彼女には生活に適していなかったとして、推しに情熱を注ぐ、という才はあったのだ。

だけれども、"推し"も、仕事も家族もこの世の全ては、脆い。そんな誰しもの脆さを描いているのでは無いかと。

 

● ヲタク描写について

本当に私の事かと思った。と言う点を書いていく。

- <病めるときも健やかなるときも推しを推す>

推しの感情がプラスでは無い事を知る時がある。そんな時は願いを込めて、ヲタクは書き込む事しか出来ないんだ。

- めり込むような一瞬の鋭い痛み

私も推しグループのセンターが目から放つ気迫に、同じ様に鋭い痛みの様な衝撃を感じた。まさに沼落ちの瞬間だった。著者の表現力も本当に鋭い。

- 一点の痛覚からぱっと〜鮮明になる。

衝撃を受けた瞬間から、次第にその衝撃を与えた良さに気付いていった感覚は、まさに世界が鮮明になる。と言う描写そのものだった。

- あたしは何かを〜深い場所で聞いた。

結局は沼落ちは、推しと自分が重なった瞬間なんだな、と。自分自身がドキュメンタリーを見て、推しと自分を重ねた瞬間を思い出した。

- あたしのスタンスは〜世界を見たかった。

まさに最近の自分の行動と同じだった。過去の出演作を丁度見て、彼が当時何を思い、現在に至るまでどの様な軌跡を歩んできたのか想いを馳せていたところだった。

- 聴けなかった方のために〜記録しておくことにします。

数日前丁度、推しのTV出演2時間前に告知があった。夕方だった。家にいた為リアルタイムで観られたが、余りにも急だったので、見れないヲタクも沢山いた。そしてそれを知っていた私は、思わず内容を書き起こした。余りにも自分の取る行動が主人公と同じで、ここら辺から全て自分の事を書かれている様で、恥ずかしさで消えたくなった。

- 胸が塞がる〜あるのだと思います。

自分の感情を記し、その後自分の知る推しの情報と、最新の情報を照らし合わせ、解釈する。そして、肯定的かつ期待で締め括る。まさに、私が日々している事だった。

- 真幸くんぽくない

私の推しは直接やり取りできないアイドルで、尚且つ私自身公式アカウントにリプライをする人間では無い。が、丁度先日、メンバーがとあるメンバーに撮ってもらったという写真。名前が伏せられていたのに、誰が撮影者か、被写体の表情を見て当ててしまった。偶然かもしれないが、主人公のガチさと自身のガチさが重なって怖くなった。

- たまに推しが〜強固になる。

推しの新しい感情を知ると解釈し、綴る。全く一緒だ。

 

愛でる事自体が幸せ、推しとの距離感について等、全てを拾うには力尽きてしまったけど、(ざっくりした人間なので、) 仰る通りの連続でした。

 

● 生きづらさについての解釈について

ここでは解釈しません。何故なら余りにも辛いから。私自身重なるところは大いにありました。

ここで解釈しないという事自体が逃げである事は承知ですし、また、自分逃げてるなって思う事自体も辛いですが、逃げます。普段は書いてるけど。

今回のは読んでて結構辛かった。前に一回自分が落ちた時の事を書こうとしたけど、書くにつれて、どんどん色んな事を思い出し、落ちてしまったから、二の舞は避ける為、そっとしておきます。

 

【一晩明けて】考えてしまうので、書きます。全体的な倦怠感、無気力感。何かに熱中すると生活がおざなりになるところが似てます。

でも割と勉強は得意だったから、そこまで感情移入せずに済んだ。正直向かない勉強から逃げられる環境だったのは恵まれていた。感謝している。

バイト先の描写、昨夏仕事がしんどかった時の自分を見ている様で読中の鼓動が速くなった。自分でコントロール出来ない要素がどんどん増えていって、焦らされ、感情的な言葉で怒られる。

家族の描写。多分これが一番心にきてる。だからこれは詳細は書かない。

本作がヲタクを一例に、心の拠り所について描くものとするのであれば、

主人公にとっての家族や社会の存在の様に、拠り所や自分自身に対しては、決して全員には理解されないという現実と絶望を表しているのかと思った。

 

● 書く事について

私自身の書く行為というのは、考えてしまう辛さを一旦解放するものだと思った。

書く前は、友人に延々とLINEを送り続けていた。でもここに書けば自己解決する。そして、特定の人に向けてLINEをするより、沢山の人に読んでもらえる。

主人公にとっても、書くという一種の行為を通じて自分の感情を発散する事が、彼女が自我を保つうえで一役を買っていたのではないか。

 

● 最後に

記載の通り、私は冒頭の主人公のヲタクとしての描写、また生きづらさの描写に重なる部分があり、思うところがありました。

でもそれは、きっと私自身のヲタク歴が一年ちょっとという主人公と近い期間で、初めての沼落ちという経験を鮮明にまだ覚えてるから、ここまで入り込んでしまったんだな、と思いました。

いもむしちゃんのくだり、私にもいもむしちゃんみたいな友人がいます。推すと友達が増えるのも、この世界の楽しみのひとつ。

また、最後の生写真の描写、きっと、考えたくも無いけど、もしいつか、私が主人公と同じ様な立場に立ったら、手元にあるグッズは私にとっても遺影になるんだろう、と思いました。そして、そんなヲタクが世には沢山溢れている事にも。

推しは生きてる。同じ人間だ。だから、感情移入が出来る。熱くなれる。人間だから、アイドルというイチポジションから離れる事もある。他人に熱くなる事で充足感を得る儚きヲタク。

そして、ヲタク以外にも、全ての拠り所を持つ、全ての儚き人々が、拠り所と安寧に過ごせる事を願う。