別に得意な事は仕事にしなくて良いし、直接役に立たない事をしてもいい。
今まで割と結構自分が人からよく見える為にする行動を取る事が多かったんですよ。食べる事以外( ) まぁ大抵自分の為だけだと社会人になって頑張れない事もあって(特に勉強) 、都度落ち込んできた訳ですが。(勉強の代わりに美容、恋愛とかね。(それで一月落ち込んでたね。
何となくお洒落とか、何か話題になってるいい感じのとこに遊びに行って写真撮ってSNS載っけるとか。
逆にそれ以外は怠惰。寝っ転がって出来る事に終始してた。疲れてるのもあって本もあまり読まなかったし。
(あ、これは個人の話ね。友人との間では、なんか楽しそうじゃね!だけで結構企画とか頑張れる人です。人の喜ぶ顔とか楽しそうな顔見るの好きなんですよ。あとわいわいするのが好き。だから広がりのある仲間意識のあるヲタクは好き。)
だから正直ヲタクになった時結構苦しみましたね。好きな事やってるだけで結構周りから白い目で見られるのが。まぁでも結局、ひっくり返してみたら、皆言わないだけで割と各々熱中するものとか、変な拘りとかある訳で、そんなもの早々に気にならなくなったんですけど。
まぁこれ全部本題と関係無いんですけど。
何が言いたかったかというと、個人でやってた事も周りからよく見られる事だったし、やる事は何かというと役に立つ事に繋げたかった訳です。
目的無しに何かやる事はあまりなかった。明確な目的なくとも、何かこれやったら知見得られそうだな、とか、一人間として強みを得られそうだな、みたいな感覚があって行動をする事が多かった。そしてそこに全力投球してた。ダンスさえも純粋なダンスが好きって気持ちが半分で、ダンスを頑張ってる自分が好きだからっていう目的意識が半ばあった。
(今度夏踊るのはまたわーわーしたい。やっぱ踊るのは気持ち良い。ダンスを通じて身体作りしたい。って気持ちと、こんだけエンタメをインプットした上で出演者側に回った時に、どれだけ世界が違って見えるのか、どれだけ違った視点から表現できるのか見たいって目的意識があります✌️)
海外行きたい!って言ってた割に海外旅行自分では行かなかったくらい、自分に役に立つと思う事以外は無気力だしね。
だけどもう、ヲタクになったら、もう調べたくなっちゃうし、布教したくなっちゃうし、考えちゃうし、文章書いちゃうし、まるでお前それ仕事か?って位頑張りたくなっちゃう。
無気力な私、尚且つ今まで個人の活動は全て自分に役に立つもの、に焦点を当ててきた私は、これをキャリアに繋げたくなっちゃったんですよ。こないだまでの悩みですね。
小さい頃から優先順位を付けろ。バレエより勉強の方が得意なんだから、将来に役に立つのはバレエより勉強だ。勉強は選択肢を広げる。と言われてきたもんで、得意なもの=自分の可能性、将来を広げる為に活かさなきゃいけない、みたいな考えがあったんでしょうね。
でも結局こないだ書いたみたいに、お仕事にしなくて良いって判断をした。気持ちを優先させた。これは、前の記事で書きましたね。
役に立つかより、気持ちを重視したら、だいぶ気が楽になった
今までどうありたいか、について紐付くのが、どれだけ仕事に打ち込むのか、そして仕事を通じて社会的地位を築くのか。といったキャリア面を中心に、見た目、恋愛ステータス等分かりやすいものを軸に据えていた。
ただ、大抵分かりやすい結果を出す為の手段は明確化されておらず、これだけはうまくいくだろうと縋ってたキャリアも、正直別に今の段階で失敗している訳でも無いのに、当初の想定と異なる結果になり、自分のありたい姿について迷走していた。
だけど、この度 "気持ち" を大事にする事で、だいぶ楽に生きれる事に気付いた。有難い事に親族の中でもバチバチに期待されていたから、分かりやすい結果を出す事にかなりの重点を置いて生きてきたが、別に分かりやすい結果を出す為に生きている訳では無い。生活は大事だけどそれ以外は自由だ。
今の仕事に満足するのも、しないのも自由。仕事をして、誠実に生きれば、それ以外は自由。
多分これに気付けたのは、コンテンツメーカーとして尊敬しているあさぎーにょちゃんの言葉や、八木さんの本だと思う。偏にやりたい事をやれば良いと言うものの、やりたい事が分からない。そんな時は何をやるかではなくて、どういう状態、特に気持ちの面を大切にすれば良いよと教えてくれたのが彼女らだった。
そんな事教えてもらった事なかったし、そもそも自由に生きろなんてのは、閑也君の言葉でしか見た事なかった今まで。言われてきた様な気もするが刺さらなかった。提示されてきた規範の中で離れても沿う様に、沿っている様に見せる事を頑張っていた。
自己完結型人間
考え事し過ぎの結果、超短期間で考え方が変わってくんだなと最近わかった。
お前、前と言ってる事ちげえじゃん。発言に責任持てよ。って言われた過去が何回かあるんだけど、多分前の発言と異なる意見を発するまでの間に、物凄い勢いで考えた結果、意見を変えてる事もある。
そもそも自分の考えが自分の納得するまで纏まるまで発言を待つべきなんだろうけど、時間かかっちゃうから焦ってその場で発言しちゃう。その結果後から補足情報とか言い訳とかが増えちゃう。
自分が思ってる事を正確に伝えなくちゃいけない。と思ってる節があり、常に自分の言っている事が自分の意志と正しいのかチェックしちゃう。自信がないから。揚げ足取られない様に。自分に自分でツッコミを入れまくってるのかもな。
多分割と閑也君の思考も似てる気がする。閑也君はだから自然に他人にもツッコミ入れるし、分かんない事があったら質問しちゃうんだけど、質問後剛速で思考した結果、自分で回答できちゃって、自己完結するんだろうな。彼は本当比べ物にならないくらい頭の回転早いしな。
【完全に個人の話】猪突猛進女、立ち止まる事を覚えた?
なんとこの私、最近、人を幸せにしたいなって思ってるんですよ。あら、びっくり。
元々就活相談に乗ったり、後輩の面倒見たり、もふさんがいてよかった!って言われるのは好きだったし、そこに自分自身の存在価値を感じている事は多かったんですけど、どちらかと言うと"自分が"バリバリ活躍したい気持ちが強くて。
でもまぁ例の通り、色々あって色々考えたんですよ。そこでシンプルに行き着いたのが、人、幸せにしたい。と。齢25手前にして思いまして。
と言うのもですね、この自粛期間溢れ出んエナズィー・バイタリティを余し、この様に書きまくってたところ、欲が出てくる訳ですよ。これを仕事にしたい。書くことをツールとして、人に幸せっていう価値提供をしたい。と。
それで持って、私は結構数字伸ばすのにも面白みを感じるタチだったので、前の職種の時もview数とか応募数とかを追っていて、今もヲタクやる上で意識しているところはあるので、そういう、いっちょ本格的にマーケティング勉強してみるか。バリバリのweb広告会社もリサーチして、ライティング、企画、マーケを中で学んでみるか。なんて考えていた訳です。
でもですね、一つ決めている事があって、もしコンテンツメーカーになるのであれば人の気持ちがプラスに変わると自分で確信できるものを書きたい。と。
だけれども、やっぱりクライアントさんがいて、そこに数値が関わってくると、必ずしも自分が作りたいものではなくなる、と。これはまぁ会社員なら当たり前の話ですよね。
あともう一つ。得意分野として就活生向けのコンテンツを書く事も考えて、最新の就活事情把握しつつ、学生とも対面できる就活塾のカウンセラーみたいなのも見てみたんですけどこれまたうーんとなって。
多分今自分自身が思い描く提供したい幸せって、就職先が決まった!とか、クライアントの売り上げが広告によって伸びた!とかでは無い気がしたんですよね。そもそもそれを目的にしていないし。
じゃぁ原点に立ち返って何がしたいかを考えた時に、私は今根詰めて働いている人の少し息抜きになる様な、仕事とは関係ないけどちょっと面白い人の話、とか、ちょっと美味しいお店、とか、ちょっといい感じの健康法、とか、あくまで多分実体験ベースで、見える範囲の人にそんなちょい息抜き、ほっこり感みたいなのを提供したいだけなのかもな、と思って。
結論はだから大きくキャリアチェンジは現段階では考えず、この現在はトラジャや考えている事関心事中心のブログっていうプラットフォームを、少し見やすい形にして、お勧めのご飯屋さんとか、なんかトラジャ担だけでなく、ちょっと周りの慶應生(正確にはOG)達にも楽しんでもらえる様な場にしていきたいかな、と思いましたね。
なので、ゆくゆくはまとまった時間が取れたら、word pressでもっと明るく見やすい感じに移行していこうかなぁなんて思ってます。
あと、私はやっぱり近しい人たちから広げていきたいなって思ってて、それはやっぱり今までのコミュニティに大きく関係していく事だと思ってるので、私のリアルの中では1番大きいコミュニティである慶應って名前も出していこうかなって思いました。まぁ姐さんがヲタアカで個人情報出した事が結構自分的には大きいんですけど。それきっかけに歳下ヲタクちゃんで大学の繋がりで何か役に立てる事もあるかもしれないし、最近周りも実は高学歴ヲタクだったみたいなのが判明して喜んでたりもするし。あとは匿名でやってる分回り辛い慶應コミュニティの中でも回ってくれるかなという微かな期待も込めて。
なので、プラットフォーム移す時は、「トラジャを布教したい人が、考えてる事を書きつつ、トラジャを布教しつつ、周りで頑張ってる方々にちょっと良いんじゃない?って思うものを紹介する」って言うスタンスになれれば良いかな。って思ってます。なので奮闘記、も辞めですね。どうしよっかな〜語呂、気に入ってたんだけどな〜。奮闘記 (?) とかにするか ()
今までは考えた瞬間行動起こさないと気が済まなかったんですけど、今職場的に比較的恵まれた環境にいる中で、昨年の事もあり、やっぱり自分の叶えたい気持ち、実現したいものには忠実でありたいなと思い、飛び込まない選択ができたかなと思います。飛び込んだら飛び込んだで面白いことは絶対あるし、飛び込めるのは年齢限られてはいるから今なのはあるんだけど、飛び込んでがむしゃらにやって知識吸収してって言うよりかは、自分の手元でゆっくり試行錯誤しながら、自分の中で思い描く、周りで頑張る方々の緊張を緩和できる様なものを提供したいなと思いました。いつかまたここぞと言う時に頑張らなくちゃいけない時は来るとは思うから、そのタイミングだけは常に見極めていきたいと思います。
推し、燃ゆ。そして、光る。光りたい。
作中で私は、推しが燃えた時に、主人公も燃えたと思った。
このタイトルの燃えるは、炎上する事ではない。命を燃やす事だ。ありたい姿に忠実である為に、命を燃やして、心を燃やす我が推し。
話は変わるが、思考は言動となると思っている。2020年何も無いの嫌だと夏頃から言い続けていた私が、年末に駆け込み恋愛2件行ったのは全てそうだと思ってる。年内に火消ししたけどね。反論はまぁ受け付けません。
推しの言葉の中で刺さる言葉がある。Twitterに書き起こして、反芻して、解釈する。そうしたらもうその言葉は既に自分の潜在意識の中の一部である。
ふとした拍子に迷う時がある。一つ一つの選択に正解など無い中で、フラッシュバックする言葉なぞ、自分の潜在意識という貯蔵箱の中から出てくる言葉である。
自由に生きなければ意味がない。その言葉で確かに私は昨秋永遠に続くかと思っていたレールから降りた。
好きで見ているコンテンツには、影響力がある。少なくともそこから発されるメッセージに真剣に耳を傾けているうちは。
話を戻す。私は推しの言葉が好きだ。向上心に溢れているが故に自信が無くなる心。そんな心を自分の言葉で奮起する、そんな言葉が好きだ。
私の大好きな彼の言葉は、知らず知らずのうちに潜在意識の中にストックされている。自分はもっとできる。時間も体力も限られてるけど頑張れる。皆んなを幸せにするよ。と言ったアイドルの常套文句も、こちら側が真剣に受け止める限り、生きた言葉になるのだ。
推しが上を見続ける限り、その言葉は発し続けられるだろう。
推し、燃ゆ。を非ヲタの友人が読んだ感想の中で、推しはヲタクの背骨であり、業であり、合一なんだ、というものがあった。彼らの言葉を受け続ける限り、受け取り手として燃料を燃やし続けるほか無いのだ。
彼らにライバルがいて、燃え続ける限り、燃え続ける同い年である推し達は、どっちが自分の人生を高め、人を幸せにできるのか、という上でライバルなんだ。
推しは、燃え続け、やがて光になると信じて疑わない。だから、こちらも沢山の人を幸せにできる様な光にならなければならないのである。
【※ネタバレ有り】解釈系ヲタクが「推し、燃ゆ」を解釈する
Googleの紹介文で、「解釈」の文字を見た時覚悟した。私も解釈ヲタクだと気付かされた。
悲惨であると言う主人公と、同じ属性のヲタクである自分。辛いであろう感情移入を覚悟した。
イチ読者、イチヲタクである私。解釈という性に従い、この、「推し、燃ゆ」を、以下、解釈致します。
● 何故読んだのか
私の生活並びにヲタクとしての言動をよく知るリア友ヲタクから、
「もふさん。絶対読んで下さい。本当主人公のヲタ活描写が半端なくて、私じゃん!ってなりました。 しかも、まさにもふさんなんです!辛いんですけど、読んで下さい!」
二週に渡って強く勧められ、また、読書の感想を聞くのが好きな非ヲタの友人も読んでいると、Twitterで見かけたから読んだ。
● 読んでいる最中の心境の変化
【冒頭】ヲタクとしてのスタンスの近さに驚かされた。具体的には、私はこの様にブログを書いている。思わず勧めてくれた友人に、LINEした。
【終盤まで】ずっと自分と照らし合わせてた。私は主人公とここが違う。私は主人公じゃない。こんな悲痛じゃない。大丈夫。と言い聞かせてた。言い聞かせれば聞かせる程、最近の推し事に充足感を求め、逃げている自分と重なり、辛かった。
解釈のツイート、考え方、ブログを書く事、元のスタンスが同じだから、全ての行為が私自身を主人公の悲痛さに近づけてる気がして、すぐにでもアカウントを抹消したくなった。
何故なら私自身も、ここで発信する事に縋っていると突き付けられる様なものだったから。
生写真やインスタLIVEの描写があってよかった。主人公の推しは所謂一般的な(ジャニーズ外の)アイドルだと思って読めたから。
【終盤】主人公がバイトを辞めたあたりから、感情移入しなくなった。辛く無くなった。何故なら曲がりなりに私は組織に所属していて、置かれてる環境が離れたからだ。
それまでの、組織に帰属していながら、うまく生活できない、もどかしさ、苦しさは、今の自分自身も若干重なる部分があったから、余計苦しめられた。だけど主人公が社会から離れた事により、自分とは別の存在として、物語として、捉えられる様になった。
【結末】主人公の推しの脱退が発表された時、その悲惨さを思い浮かべ、主人公がどうなってしまうのか怖くなり、一瞬また読むのを投げ出しそうになった。
でも描写が丁寧で、読み進めていくうちに、推しがアイドルを辞めた経験が無い私にとってはやはり他人事で、あぁ、起承転結を付けてるのか、位に思った。起承転結が分かりやすいから受賞作なのかも、とさえ。
これが推しが1人でもアイドルを辞めたヲタク、推しグループが脱退した時をリアルタイムで追ってたヲタクだったらどれだけ辛いだろうと思いを馳せた。
● 読み終えてみた作品としての解釈
【読了直後の解釈】
これは、「推し」と言う、今、分かりやすくキャッチーな存在を題材にしたから、受賞したのだと思った。ヲタクに限れば、自身を写し出す鏡の様な作品だとも。
【友人と話し終えた後の解釈】
だけれども、勧めてくれた友人と話を進めるうちに、意見が変わった。この「推し」という題材は、あくまで例えにしか過ぎないのだ、と彼女は言った。深く納得した。
丁度彼女とは今日、現状に葛藤を抱えながらも、生活を優先している人が多い。納得できない現状に覚悟を決めて、生きている。という様な話をした。
つまり、この物語は、「推し」を一例に、熱中するものを通じて、現実からの逃避するという現代人誰しもにとって普遍的且つ、暗い底に眠っている闇を描いた作品なんだと。
【本稿を書き終えた後の解釈】
上段にて、「逃避」「闇」と書いたが、本稿を書き上げるに伴い、逃避でも闇でも無いと思い至った。
趣味ではなかったとして、仕事に熱中したり、家族に愛情を注いだりする全て、同じ1人の人間の掛ける時間であり、想いである。
主人公は痛ましく描写されているが、彼女には生活に適していなかったとして、推しに情熱を注ぐ、という才はあったのだ。
だけれども、"推し"も、仕事も家族もこの世の全ては、脆い。そんな誰しもの脆さを描いているのでは無いかと。
● ヲタク描写について
本当に私の事かと思った。と言う点を書いていく。
- <病めるときも健やかなるときも推しを推す>
推しの感情がプラスでは無い事を知る時がある。そんな時は願いを込めて、ヲタクは書き込む事しか出来ないんだ。
- めり込むような一瞬の鋭い痛み
私も推しグループのセンターが目から放つ気迫に、同じ様に鋭い痛みの様な衝撃を感じた。まさに沼落ちの瞬間だった。著者の表現力も本当に鋭い。
- 一点の痛覚からぱっと〜鮮明になる。
衝撃を受けた瞬間から、次第にその衝撃を与えた良さに気付いていった感覚は、まさに世界が鮮明になる。と言う描写そのものだった。
- あたしは何かを〜深い場所で聞いた。
結局は沼落ちは、推しと自分が重なった瞬間なんだな、と。自分自身がドキュメンタリーを見て、推しと自分を重ねた瞬間を思い出した。
- あたしのスタンスは〜世界を見たかった。
まさに最近の自分の行動と同じだった。過去の出演作を丁度見て、彼が当時何を思い、現在に至るまでどの様な軌跡を歩んできたのか想いを馳せていたところだった。
- 聴けなかった方のために〜記録しておくことにします。
数日前丁度、推しのTV出演2時間前に告知があった。夕方だった。家にいた為リアルタイムで観られたが、余りにも急だったので、見れないヲタクも沢山いた。そしてそれを知っていた私は、思わず内容を書き起こした。余りにも自分の取る行動が主人公と同じで、ここら辺から全て自分の事を書かれている様で、恥ずかしさで消えたくなった。
- 胸が塞がる〜あるのだと思います。
自分の感情を記し、その後自分の知る推しの情報と、最新の情報を照らし合わせ、解釈する。そして、肯定的かつ期待で締め括る。まさに、私が日々している事だった。
- 真幸くんぽくない
私の推しは直接やり取りできないアイドルで、尚且つ私自身公式アカウントにリプライをする人間では無い。が、丁度先日、メンバーがとあるメンバーに撮ってもらったという写真。名前が伏せられていたのに、誰が撮影者か、被写体の表情を見て当ててしまった。偶然かもしれないが、主人公のガチさと自身のガチさが重なって怖くなった。
- たまに推しが〜強固になる。
推しの新しい感情を知ると解釈し、綴る。全く一緒だ。
愛でる事自体が幸せ、推しとの距離感について等、全てを拾うには力尽きてしまったけど、(ざっくりした人間なので、) 仰る通りの連続でした。
● 生きづらさについての解釈について
ここでは解釈しません。何故なら余りにも辛いから。私自身重なるところは大いにありました。
ここで解釈しないという事自体が逃げである事は承知ですし、また、自分逃げてるなって思う事自体も辛いですが、逃げます。普段は書いてるけど。
今回のは読んでて結構辛かった。前に一回自分が落ちた時の事を書こうとしたけど、書くにつれて、どんどん色んな事を思い出し、落ちてしまったから、二の舞は避ける為、そっとしておきます。
【一晩明けて】考えてしまうので、書きます。全体的な倦怠感、無気力感。何かに熱中すると生活がおざなりになるところが似てます。
でも割と勉強は得意だったから、そこまで感情移入せずに済んだ。正直向かない勉強から逃げられる環境だったのは恵まれていた。感謝している。
バイト先の描写、昨夏仕事がしんどかった時の自分を見ている様で読中の鼓動が速くなった。自分でコントロール出来ない要素がどんどん増えていって、焦らされ、感情的な言葉で怒られる。
家族の描写。多分これが一番心にきてる。だからこれは詳細は書かない。
本作がヲタクを一例に、心の拠り所について描くものとするのであれば、
主人公にとっての家族や社会の存在の様に、拠り所や自分自身に対しては、決して全員には理解されないという現実と絶望を表しているのかと思った。
● 書く事について
私自身の書く行為というのは、考えてしまう辛さを一旦解放するものだと思った。
書く前は、友人に延々とLINEを送り続けていた。でもここに書けば自己解決する。そして、特定の人に向けてLINEをするより、沢山の人に読んでもらえる。
主人公にとっても、書くという一種の行為を通じて自分の感情を発散する事が、彼女が自我を保つうえで一役を買っていたのではないか。
● 最後に
記載の通り、私は冒頭の主人公のヲタクとしての描写、また生きづらさの描写に重なる部分があり、思うところがありました。
でもそれは、きっと私自身のヲタク歴が一年ちょっとという主人公と近い期間で、初めての沼落ちという経験を鮮明にまだ覚えてるから、ここまで入り込んでしまったんだな、と思いました。
いもむしちゃんのくだり、私にもいもむしちゃんみたいな友人がいます。推すと友達が増えるのも、この世界の楽しみのひとつ。
また、最後の生写真の描写、きっと、考えたくも無いけど、もしいつか、私が主人公と同じ様な立場に立ったら、手元にあるグッズは私にとっても遺影になるんだろう、と思いました。そして、そんなヲタクが世には沢山溢れている事にも。
推しは生きてる。同じ人間だ。だから、感情移入が出来る。熱くなれる。人間だから、アイドルというイチポジションから離れる事もある。他人に熱くなる事で充足感を得る儚きヲタク。
そして、ヲタク以外にも、全ての拠り所を持つ、全ての儚き人々が、拠り所と安寧に過ごせる事を願う。
昨日の会話の記録
何の為に生活してる?フェーズを超え、自分が社会に出来る価値提供を考えて煮詰まってたこの頃
昨日友人と話していて、以下が明確になった。
・多分0→1がやりたい。コンセプト/理念、ターゲット設定も全部自分で納得したものをやってみたい。
・モチベーションは顔/人となりが見えるかによって大きく左右される。ネットを通じた1対1のコミュニケーションは好きだが、匿名のものには一気に恐怖感を抱くと共に、努力する対象が集団/しかもよく知らない集団になった瞬間、落ちてしまう。
・最後まで見届けたい。上記にも言える事だが、やはり何かをした後の変化や反応を見届けたい。そしてこれは最近気づいたのだが、仮説検証していきたい欲が強い。
・単純な金儲けは人の顔が見えない。自分の発信した何かによって、人の感情がプラスになるものを生み出したい。
⇒兎に角、自分の発信したもので、相手の感情がどの様に変化するのか or 関心がある方が誰なのか、確かめたい。
⇒ニーズや感情の変化のきっかけを知りたい。
⇒承認欲求もあるが、色んな人の事を知りたい欲がある為、測ったニーズ、また、関心をもとに、その層に比較的響くテーマを切り口に、人間関係を広げていくきらいがある。
そもそも自分の発信する内容が、興味のあるものの分野の為、自然と女性の人間関係の輪が広がっていく。
割と得るものが多かった気がした1月 - 自信と好きと向き不向きと
自信と好きと向き不向きの話です。
->自信と愛と食べ物と所属コミュニティの話してます。
キーワード
ROT、渡辺直美、哲学書、ダイエット、マグマヨガ、オートミール、ヨガマット、筋トレ
-- 自信の話 --
【楽しかった正月明け】
今年は自分に期待しないし焦らないけど、でも出来ることを!とYouTubeを見て研究して、スキンケアやらダイエットやら、自分に合いそうなもの買って、うきうきしていた。
また、SixTONESの配信LIVE、嵐のリピート配信、2度目の滝沢歌舞伎と、コンテンツに溺れて幸せだった。
【兎に角気が落ちた1月半ば】
1月半ば2週間は、とても凹んでいた。
スキンケアなりダイエットなり、それなりにやってみたけれども、結果はすぐに出ない。
自信がない状態で、更に結果が出ない。仕事もそこまで忙しくないし、自分に期待もしてない。あれ、何の為に部屋で1人落ち込んでるんだろう。生活してるんだろう、、、
【苦しくなって考えた】
元々こうありたい!像が小さい頃から強かった から、ありたい像も描けず、自信も持てない状態が兎に角辛かった。
(この時期ですね。
https://mofumofum.hatenablog.jp/entry/2021/01/18/%E3%81%8F%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%88)
惰性で生活を送り、前にも進めない自分が、割とマジで何の為に存在してる?と気持ちが落ち切った。そんな時、ふと、一つの問いが頭に浮かんだ。
「1日の中で何してる自分が好き?」
考えてみたら仕事だった。作業をしてアウトプットをする。何か生産できている、のは喜びだった。
【今までやってきた事は果たして、期待に必ず終着するものだったのか】
その自問自答で、頭の中に刺さっていた魚の骨の様なつかえが取れた。昨年秋、もう自分は上に行けないと思い、仕事で活躍するという期待を捨てた。
だけれども、そもそも活躍出来ると自分に期待してたから、ガムシャラに働いていた訳ではない。少なくとも異動前の自分自身精一杯満足に働いていた時は、"好き"だったから、働いていたんだ。
あぁ、昔から勉強とバレエしかなかったけど、それらは好きで、今手元には、仕事とダンスっていう好きな事をやろうと思えば、出来る環境があるじゃないか、と。
【TVを点けたら、推し(閑也君)も自信の無さで悩んでいた】
気落ちしていた時に唯一の楽しみにしていたTravis Japanのドキュメンタリー。テーマはDance。大きく取れば、ダンスとアイドルとがテーマだったが、描かれていたのは自信が持てず葛藤する閑也君(推し)だった。
自信が無い時には周りから何を言われても、自信が持てる訳では無いんだよな、と過去の自分とまた、現在の自信の無さと照らし合わせながら、見ていた。
ファンの意見が飛び交うタイムラインの中で、救われた一言がぽつり。「思い返してみれば、20代半ばの時、私も自信が無かった。あと数年経てば、落ち着くよ」と。
あぁー私だけじゃ無いし、そんなもんなんだな、と思った。実際仲良い同い年の閑也のファンともお互いの自信の無さについて日々話し合うし。
その時に書いたのがこのブログ
【結果的私的自信問題のケリの付け方】
その友達にも話したんだけど、たまたま雑誌を整理していたら元太君がメイクして載っていたViViに、セーラームーンの格好をした渡辺直美が自信の話をしていたんだよね。
「私も自信無い。自信のあるフリをする。自信が無いと仕事は来ない。頂いたお仕事が成功すれば自信になるし、失敗しても経験になる。」と。
その前にも名前も知らないtiktokerが、「大人はね、自信があるんじゃ無くて、自信があるフリをするのが美味いんだよ。」と言っていたのを思い出した。営業マンも一緒か。
結論から言うと、私も自信は無くていいと思った。
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好きの話
【自信が無くてOKな訳じゃ無くて】
自信が無いと辛い。でも気持ちが落ちきった時、救ってくれたのは、"好き"という感情だった。自信が無くても良いから、なりたい像じゃなくて、自分が好きな事をしてあげようと思った。
【落ちてた時哲学書を読んでいて】
休職中、ふと目に止まって買ったフロムの「愛するということ」。
気落ちしていた原因は自信以外にも家族との価値観の違いもあり、価値観の違う事に対し悲しむ家族を見て、果たして自分の価値観に従って生きる事が、親の愛に背いている事になるのか。
気になって積読期間を終了し、手に取った。
(この時期読んでいた本は他に遠藤周作のものがあるが、これは別途記載済み。
【フロムの見解】
何の為に生活してるんだろう?私は家族の愛に反く様な事をしているのか?そう考えていた時にフロムがくれた言葉はこうだった。
人間は他人を愛する為に生きている。愛とは与える事だ。そして他人を愛する為には、自分自身を愛さなければいけない。と。
【ここで言いたかった事】
愛とは他人に与える事=ヲタクだな、と思った。じゃなくて、結局自信は無くとも、自分を愛する、もっと簡単に言えば、ある程度好きでいる事が大事なんだな、と、先述の自分自身の話と合わせて、そう思ったのである。
その為には自分のなりたいものとのギャップを埋めるだけで無く、自分が大切にしている好きなものをきちんと理解してあげる事が大事なんだな、と行き着いた。
- 好き・食べる事 -
結局勉強とか仕事とか言っといて、好きな事食べる事かよ!!!
まぁそうなんだよね。
【断食をして気付いた違和感】
年始にした試みの中で1番自分に合っていなかったのが断食。プチファスティング。私は気落ちした時、頑張りたい時、ゆうこすの真似をする実は普通の20代なのだが、なんか良い女っぽいし、ご飯作らなくて済むし()、ちょうど三連休だしと気軽に手を出してみた。
みるみる体温が下がっていった。前後の食事をできる範囲にしてしまったから、というのもあったろうが、結論から言うと効果無しだった。抜いた直後は3日で1.7kg減ったが、丸一日で戻った。
その後体感体温がなかなか戻らなくて、"明らかに自分の中で合ってない"を感じた。
【ダンスへの渇望】
私は時たまゆうこす信者なので (2度目)、マグマヨガなるものに通い始めた。ダンス通う勇気は無いし、HOTヨガは緩い。その頃お風呂で汗かく事にもハマっていて(1ヶ月以内なのにその頃という表現を使ってごめん。私は生きる周期が短いんだ。)、めちゃめちゃ汗かけるならいんじゃね!しかもスタジオ近!って事で通い始めた。
岩盤浴の上でのヨガやメンテナンス系のレッスンは単純に気持ち良いが、なんか違うなんか違う。もっと運動したい。と、やはりダンスへの渇望が抑え切れなかった。
【汗をかいて、頬張る幸せ】
しかし、フィットネス系のレッスンに行ったあの日(奇しくもROTの翌日だった。) 倒れるくらい汗をかいた。文字通り呼吸困難だった。気持ちよかった。(身体動かす人は全員Mですから。)
バナナと酵素ドリンク摂取しただけで臨んだクラス後、気付けばのぼせた頭で、モスバーガーに吸い込まれ、むしゃむしゃ生まれて初めてのダブルバーガーを食しながら、閑也君自信問題について考えつつ、爆速で北斗担とLINEしていた。幸せだった....
これよ、これ!動いて、食べるの!これなのよ!生きてる!!!!!
【気付けばいつも貴方のことを考えてるの】
そうなんですよ。ついに今日、気付けば食べ物の事を考えてるのが、1番自分自身がご機嫌である事を...
言われてみれば、
・グルメでは無いし、高いお店に行く訳では無いが、割と周りでそこそこ良いお店を探すのに定評がある。(というかSNSで良さげな店を見つける度にメモっている。し、友達と行くお店はあまり妥協しない。
・実家の会話も常に真ん中には食べ物があった。
・一回会っただけの人と1ヶ月LINEが続いているが、話題は7割食べ物だ。
・母が作る料理が美味しかったからか、そこまで料理はせずとも、目分量で美味しい味を作り出す強固な自信はある...
・YouTubeは大体食べ物が絡めば、私にとって神回
--
向き・不向き
向き不向きってダイエットの事かよ!!それもあるし、それ以外の真面目な話も書くからね。
【ストレスフリーに健康に】
結果的に、割と食べる様になって、ニキビ減りました✌️ターンオーバーの周期の問題もあると思うけど、やっぱ1番はストレスなんだなぁ、と。そして、どんだけ食べるの好きなんだよ、と...
//よかったことリスト//
・夜ご飯に炭水化物の代わりに、豆腐、納豆、めかぶ掛けて食べてたのは、美味しかったし、満足度高かった。でも飽きた。
・最近ハマってるのはオートミール。これは良い。多分だけど、自分には一食40g位が丁度いい。オーバーナイトオーツも良いし、お好み焼き風も美味しい。レンチンで出来て、材料も少なめでもいけるから、冷蔵庫すっからかんでも生きられる。
・楽天で10mmのヨガマットを買いました。色々YouTubeでフィットネス動画見てたけど、見ながらやる甲斐性は私には無いので、ヒカキンの食べ物系動画流し見ながら、バレエ時代毎日やってた、シンプルに腹筋3種類、背筋100回ずつ、側筋、腕立て、体幹、足パカとタオルの背筋のやつ適当回数が1番心理的コストが低かった。ヨガマット良いぞ。アブローラーも気になってる。
【脱線するよ】
とまぁ、(とまぁ?) 昨秋から、自分には何ができるのかな?とじくじく考えている訳で、こないだは、人に勧められた「世界一簡単なやりたいことの見つけ方」なぞを読んだりしてた訳ですよ。
因みにこの著者の八木仁平さんのSNS過去にめっちゃ漁ってたわ、、、仕事バリバリしてる時でも常に自己分析してしまう様な人間なので、、、
あと余談だけど、男性陣、DAIGOとか、あっちゃんとか西野さんのYouTube好きよね。分かる。
【八木さんの本】
向き不向きの話に戻ります。その八木さんの本は正直to doが多くて途中からざっとしか読んで無いんだけど、(フロムの本も恋愛のところから難しくて読めてない。諦めがち。)
いや、本当そうだよな!!と思ったのが「自分が誰かに提供したい価値は、自分自身が享受しているものである事。」という事。
人の事愛したいなら自分を愛せ、と同じ様な理論だけど、笑顔になってほしいならこちらも笑顔で、みたいな事だよね。よく分からんけど。
【潜在意識って怖いよね】
良いよなぁ、なんて思いながら今日ふと、気付いたんですよ。
オートミール良い!とか、Clubhouse気になる!とか適当な発信とか、このブログだったりとか、結構色んな方が反応してくださるんですよ。すごく嬉しくて、だからこうマイペースに続けてるんだけど、女性ばっかだな〜なんて常日頃考えていた訳です。
で、今日気づいたのは、これだけ自分が女性として、という観点で色々考えてきたのに(そうなんですよ。)、何かにつけ"認められる" "認められたい"と感じてる対象が男性だった事に。
【ゴールドマンサックス流女性社員の育て方を読んで感じた違和感】
そういうタイトルがあるんです。でもこの本読んでますます自信無くしたんですよね。内容としては、男性社会の外資系金融業の中で、上り詰めた女性が考える、女性活躍の上での障壁と、それを乗り越える提言、なんですよ。
でも自分にはとても高いハードルを感じたし、そこを乗り越えたいという意欲が湧かなくて、前だったら沸いたのに、それに更に落ち込んで。
【まとめ】
でも、曲がりなりに、八木さんの本を通じて改めて人に提供したい価値観を考えた時に、なんかあったかくなれる様なものだったんですよね。
家族は父親以外女性、従姉妹も殆ど女性。3歳からずっとバレエ、高校は文系でほぼ女子のクラス、茶道部、大学はダンスサークル、社会人ジャニヲタ。
共学ではあったけど、女性コミュニティに属している時間の方が圧倒的に長い。友人関係もそう。実際男性社会の入社時は相当苦労したし。
"女だから" って言葉に反発してきた結果、"男性に認められること"を、"女だから"の呪縛から逃れるゴールにしてた事が恥ずかしい。多分現段階では、私は女性に向けた価値提供の方が向いているし、それで、良い。
遠藤周作より 人生と生活は違う
自分をどう愛するか <生き方編>
自分づくり 遠藤周作
人生と生活は違うらしい。確かに。
人は生活をしている最中は人生の事を考えないらしい。
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往々にしてどういう人でありたいか、については考える方だったが、確かに万事上手くいっていた時期に関しては、日々の生活の充足感を享受し、そのまま辿り着くところに辿り着けば良いと思っていた。
それが世間的に崩れたのが、コロナ禍であり、個人的には、去年の休職の1ヶ月だった。
今まではあくまで自分自身をいかにより良い存在にするかについてしか考えが及ばず、その築き上げてきた足元が危うくなるなんて考えてこなかった。
色々考えて辿り着いた現状としては、何者になろうとして焦らない事。
だけれども、あの期間に何に関心を持っているのかが明確になった。それはエンターテイメントと人の関係性だ。
これについて考えたり、意見を聞くのは実に楽しい。
今年に入って学んだあれこれ
・体温を保つのが大事
ファスティングをしてみたけど、体温が下がってしょうがなかった。調子悪いなと思う時は身体が冷えてる時。
これは歳上のお姉さんから学んだ事だけど、気が塞ぐ時は暖房を2度上げるんだって。それだけ温かさは人間にとって大事なんだろうね。
・日光に当たろう
昔から晴れ具合によって調子が変わる。人工太陽でも作るか()
・ヘルシーな物を
カロリーじゃなくてヘルシーかどうかで食べ物を選ぶんだって。モデルさんが言ってた。
・化粧水は安物でいい
質より量。なんか色々見てて行き着いた。
あとは美容皮膚科しか勝たないらしい。
ケミカルピーリング、行くか、、、
顔を触らない、擦らないのが良いんだって。
スクラブやスチーマー、マッサージも駄目って言うけど、まぁ、自分が好きな程度にやろう。
・トリートメントよりシャンプーを
シャンプーと洗い流さないトリートメントが大事なんだって。美容師さんが言ってた。
自分について考えるのって辛いよね
何かについて考えて、それについて話をする事が好きだ。ヲタクになって再認した。
今まで割と蔑ろにしてきた事。でも自分の言葉で話せないのは中々にコンプレックスだったから、考える様になってよかった。何度も書くけど、考えるようになったのは、書くようになったからだ。
今まで何も考えてこなかった訳では無い。外見にも実力にも自信が無いから、どうしたらそれを克服できるのかを考えてきた。
でも自分の弱みを見つめるのは辛い事だし、なりたい像を探しては、現状に落ち込むし、焦ってしまう。焦ると良くない。
更に言うと今までは自分の好きを表現する事はあっても、その中身や願望まで人と話す事はなかった。
別に垢抜けても綺麗でもない自分が、化粧品の事等話す資格はあまり無いなと思っていたが、色々調べるうちにお喋りな私は耐えきれず話す様になり、案外皆考えてる事は同じで楽しかったりする事に気がついた。
くよくよ
お久しぶりになってしまった。年が明け、今年は自信を取り戻す年にしようと、あれやこれややってみてはいるが、やはり人と会って話をするのが1番好きな私には、この自粛期間はどうも塞ぎ込んでしまって駄目である。
前回の自粛期間は非日常、皆で手を取り合って、感情的に過ごす風潮を共有しあっていた所為か、そこまで辛くなかった。何よりもこんな非常事態そう長くは続かず、数ヶ月後、半年後にはハグし合える世界が来ると思ってたんだ。
それが今や、第二回の緊急事態宣言。経済を止めると本当にままならなくなるから、前回に比べ緩めの、騙し騙しの自粛期間。そしてまさか二回目があると思っていなかったし、ここで我々は一回目の時に考えてもみなかった、5年、10年単位の戦いを覚悟するのである。
でもまぁそれは良い。いや、全然良く無いんだけど。何が1番良く無いかって、1番のモチベーションである、人と会うが出来なくなると、あれ?何の為に生活してるんだっけ?とはたはた途方に暮れてしまう事がある。
何故ならば、生身の会話が減る分、SNS等メディアに露出する人ばかりを見る機会が増え、派手な煌びやかな成功体験ばかりを見る事になる。人と比べない、メディアに載るのは良い面だけ、と自分に言い聞かせ、自分には自分の好きな自分になれる様積み重ねていけば良いし、駄目な日があっても良いじゃ無い、とそう言い聞かせる日々である。
2021年の抱負と - 強いって言葉、多分使わなくなったと思う。
今までは強くなりたいと思ってたのよ。
この間とある姉さんが、自分の事好きって言ってないと自分の事好きでいられないの。だから、口に常に出してくのよ。って言ってた。
色んな葛藤をしていた大学2年生の時は、頑張りたい。と常に口に出していたのは、辛かったから、口に出す事で鼓舞してたのだろう。
▪︎強くなりたいとずっと思ってた
強くなりたい。と言い始めたのは、恐らく小学生時代。ちょっと地元に馴染めなくて、怖くて。中学生の時もそうかな。強くなる手段が勉強だった。頭良くさえいられれば、カーストから外れられた。地元もちょっと怖かったし東京に出たかったし、勉強は東京に出る手段でもあり、身を守る道具だった。
大学に入ってからは頑張りたい。勉強は別に出来る方ではなかったしね。でも目の前の打ち込んでいた一つ一つが楽しくて刺激的でそこで頑張りたかった。そこで頑張れる=強いだった。
社会人になって、より一層強いという言葉を使うようになったのは、それだけ弱さをまじまじと見せつけられたからだと思う。何に対して弱かったのか。まぁ、寂しさだろうね。
寂しさにかまけてた分仕事に打ち込んでたけど、別に仕事を行う上で強さは意識してなかった気がする。量が多かったのは大変だったけど、周りからはボロボロだって言われてたけど、一つ一つできる事が増えてったのは楽しかった。
▪︎弱い
弱いってこの前出会って2週間の人に言われた。話を聞いている限り、弱い人だと思ったと言われた。すっげー怒ってしまった。
常々強くなりたいと口に出す私に対して、あんたは弱いよ、なんて大真面目で言う人間いなかった。酒の場で生意気な新入社員の私に対して、おめーはなんも知らねんだからと言われるのは違う。知らなければ知ればいいだけなんだから。
でもね、確かにそうだね、弱いね〜。
▪︎1人部屋でベッドの上で
去年の10月ぽっきり折れて、頑張れば強く在れるという考えがぽーいと3km先くらいに投げ捨てられた。
強く、上に、だけじゃ駄目だな。駄目な時もある。あと、強く在ろうと必死な姿が評価されてきたと思ってたけど、こてんと折れた時も案外人は離れないんだ、と。
今は強くなりたい、なんて言う自信もなくなってしまったし、転職先探しても全然無いし、どうする?好きな事しちゃう?何したい?自分は。どうなりたいの?自問自答した。
▪︎メモ
友達と話していて、自己分析は良いよ。と言われて、その時に書いたメモが面白かった。ブログを活用し始めたのは失恋がきっかけだったけど、色んな人の話を聞いて、書いてみようと思ったのは、このメモを書いたのがきっかけ。
書く人なので、書く事で思考の整理がされて、行動が導かれるらしい。思い付いて、ちょっと齧って、考えて、書いて。
「人間的におもろくなりたいと思ってる。
おもろい話(自分の経験できない話)を沢山聞きたい。人がちょっと経験できない事を経験してみたい。そしてそのおもろい話を色んな人に伝えたい。それを自分のコンテンツとしていきたい。
自分の経験が尊敬されなくても良い、ちょっと笑ってもらえたら嬉しい。
私が聞いた話を通じて、聞いた人がほーんと少し世界が広がったら嬉しい。何かを考えるきっかけになったら嬉しい。
人が何考えてるのかを考えるのが好きだ。自分もよく考えたい。考えている事を明確に伝えてくれると嬉しい。尚且つ聞いてくれるともっと嬉しい。
よく面白い経験をした人に、本書きなよ。というけれど、自分がインタビューして、自分が書かせてもらっても良い。大人には、人それぞれの苦労がある。それを短い文章を読む事で心が救われる、ほっと一息つく、自分と同じ人がいるんだ、こんな人がいるなら私もこれで良いんだ、そう思えたら素敵だ。
自分の考えている事を話してくれないのは寂しい。多分質問の仕方が間違ってる。話の振り方が間違ってる。」
松陰寺みたいな事途中で言ってるな。ぺこぱ大好き(バレエ大好き💕のノリで(松浦景子ちゃんのネタです
▪︎じゃぁ、今は
色んな人の話聞いて、ブログ書いたり書かなかったり。(正確に言うと書いてます。何人かから聞いた話と自分の考えを絡めて書いているので、分かりづらい書き方になってるけど、書くと言った人の話は大概書いています
それはそれは楽しいよ?本当にやりたい事だなと思う。
その後弱いって言われて酷く傷付いて落ち込んでみたり。(時系列ばらばらでごめんね。よくメールの文章構成もぐちゃぐちゃだって怒られてた
色んな人の話を対面なり電話なりで聞いていると大敵の寂しさの入ってくる隙間もないし、話してると割とあれが面白いこれが面白いって言って、色んなコンテンツを勧められると、観たい映画、読みたい本、やりたいゲームで溢れるのよ。
仕事もね、楽しいしね。恋愛は焦ってもダメだしね。やりたい事やって、あとは身体と心大事にして、大切にしたい人とは程よい距離と目線の高さを大事にして。それさえあれば、別に弱くても構わんし、強くなる必要もないのじゃ。
弱くて何が問題なん?という友人の言葉を大切に焦らず生きていきたい。
エンターテイメントってなんだろな - 嵐で色々溶かされてしまった
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。昨年は考え事を沢山した一年でしたが、"エンターテイメント"というものについてよく考えた年でした。
コロナが流行る前に、ジャニーズJr. Travis Japanに出会い、所謂エンタメに人生で初めてどっぷりと浸かりました。
3歳から大学3年生まで現役でバレエ・ダンスを続けていて、芸術や教養について想いを馳せた事はあったものの、"エンターテイメント"についてここまで想いを馳せたのは初めてでした。
▪︎"エンタメは?" "救い"
"エンターテイメント"って何ですか? とある敬愛する、エンタメをこよなく愛するお姉さん(同い年だけど)に聞いた。"救い" 彼女は即答した。
"気持ちが落ちてる時には明るい気持ちにさせてくれて、頑張ろうと思う時は目指すべき場所になる。"
"アイドルになれるなら、なりたい?" 笑顔で "うん" と即答した。
昨日の紅白。年末のSASUKE。
"今年だからこそ、何年ぶりに、何十年ぶりに出演、出場しました。"
"自分に何か出来る事はないかと思い。"
"自分のパフォーマンスで元気になって貰えたら。"
昨日の嵐。紅白でのカイトのパフォーマンスと活動休止前LIVE最後に松潤が放った一言。
▪︎"カイト"を聴いて涙が止まらなかった
"小さな頃に見た 高く飛んでいくカイト 離さないよう ぎゅっと強く 握りしめていた糸"
ぼーっと去年目にする筈だったオリンピックで喜ぶ人々の熱、目にする筈だった担当船が浮かぶ海風・潮の匂いを感じた。
"離れた未来は 1番星の側に そこから何が見えるのか ずっと知りたかった"
オリンピックを実現させる為に汗水流して動いた人・世界と働く事を夢見て上空を通過する飛行機を眺めていた幼き自分。
どんどん実現から遠ざかる悲しみ・分からない事ばかりで必死に電車の中で勉強していた頃を思い出した。
"母は言った 「泣かないで」と
父は言った「逃げていい」と
その度にやまない夢と 空の青さを知っていく"
ぼろぼろになって実家から電話を貰って、もう頑張らなくていいよ、と迎え入れてもらった事。それでも元気に成る程、家族とうまくいかなくなってしまった事。両親に助けて貰ったにも関わらず傷つけてしまった事に悲しくなり、TVを前にぼろぼろと泣いてしまった。
"風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて 君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ"
2020年に傷付いた事、悲しかった事全てが "カイト" という歌に浄化された気がした。
▪︎嵐とジャニーズJr. Travis Japan
その次の "君のうた"
嵐のバックにキスマイ兄さんに頂いた衣装を履いて出たTravis Japanの6人。
ジャニーズJr.推してるの?いくつ?同年代?まだデビューしてないの?
トラジャの話をする度に掛けられる言葉。
でも"君のうた"で現れた6人の姿を見て、彼らが今ジャニーズJr.だから、嵐の休止前最後のLIVEで共演出来て、後輩として紹介して貰えて、紅白の場に立てたんだと思ったら、何故だか分からないが、
まだデビューしてないの?の呪縛から解かれた気がして、気が抜けて、ふらっと倒れそうになった。
それと同時に出られなかった中村海人、SnowManを想い悲しく、悔しい気持ちになった。
▪︎松潤の言葉と2021年への希望
"あと2時間あまりで年が明けて、僕たちの嵐がいったん止みます。嵐が去った後に虹のかかった美しい空がどうか皆さんの前に広がりますよう"
中高生時代カラオケで歌っていた学校で流れていた車で流れていた嵐。たまたま妹が嵐ファンで何故かアルバム曲もかなり知っている嵐。
嵐の様な21年の活動と言うが、彼らが世に広く知られる様になったのは、10周年の頃から。
その後ほどなくして国民的アイドルとして席巻してきた嵐が、松潤が、自分たちのグループ名を掛けて、希望を抱く事が難しい2021年に希望を与えてくれた。
紛れもなく、国民的アイドルである彼だからこそ、希望を与えるというアイドルとしての役割を、1番格好良く全うしてくれた瞬間だった。
あぁ、虹が、掛かるかもしれないんだ。紛れもなくあの時配信を観ていた多くの人々が希望を抱けたと思う。
あぁ、エンターテイメントは"救い"なんだ。そして希望を背負う人数が多ければ多い程、重圧がのしかかるんだ。
そしてそれでも尚輝いて希望を与え続ける
アイドルって良いなぁ。