もふさんの奮闘記

書いてみた。

3月22日、5月12日

北海道公演が中止になってから、たったの17日間。2週間ちょいだったけど、何回泣いただろうか。泣きたい今にも水が溢れそうな心をやっとこさ保水しながら、どれだけのトラジャ担が前向きなツイートを頑張って心掛けただろうか。雑誌の解体のGWを終えたトラジャ担は、the showだけを見ていた。

2時間前に中止になったあの血の気の引く感覚。7分の6感染を知ったどん底の気持ち。どれだけ力を尽くしても取れなかったANNのワールドトレンド1位を、瞬時にもぎ取っていった絶望。

そんな最悪な気持ち、事務所から声がない不安、不満なんて、一瞬で拭い去ったしめちゃんの緊張と不安に溢れた声。

違う、こんな事が書きたかった訳じゃない。辛かった記憶を忘れない様に書こうとは思ったけど、やめたんだ。今回筆を取ったのは違う理由。結局書かずにはいられなかったけど。

復帰が決まった。

ぱーっと明るいお祝い騒ぎというよりかは、一気に脱力して、じわじわと喜びと平穏が戻ってきて、日常がどれだけ幸せに満ち溢れていたかを思い出す。

じわーっと幸せな穏やかな夜を楽しむ。

 

なるべく声を上げずに、だけど他のグループの華々しい仕事やお祝の中、何もしないのももどかしくて葛藤に耐えながら、ワイドショーを見て泣いていたGW。

ついさっきまで、去年の今もまた、絶望に満ち溢れた日々を送りながら、トラジャの21時、毎日更新だけを心待ちにしていた日々を忘れていた。目の前の事でいっぱいいっぱいだった。のえるの訳の分からないスピードの速報(あと、松倉問題w)、しーくんの三枚目のゲキ盛れ写真たち、、、

 

だから、今日少し早すぎるんじゃないか、とちょっぴり不安に思うけど、やっぱり嬉しすぎる、そんな明日に復帰を控えた、復帰発表当日の水曜バスケ出演決定日の事も、忘れない様にここに記しておく。

 

というのは建前。半ば懺悔の為に書いている。3/22。KAT-TUNのデビュー日、15周年記念日。トラジャのチケットが全然手に入らなくて疲れて、プライベートもわけわからなくて、そんな中現れたshockという余りにも大きい存在。気付けばhyphenを自称していた。疲れた身体に15年という時間の厚みは、沁みた。あぁ、こっちでも良いのかもしれない。

そう思った時に、決まったのが閑也くんの水曜バスケだった。

彼にはずっと個人仕事がなかった。すごい、嬉しかった。

(調べてみたら22日0時に、2回目のトラジャanan表紙も情報解禁され、その日はのえしずんちゅネプリーグだった。こんなに盛り沢山だった日にも関わらず、覚えてたのが水曜バスケだけだった、、、。それだけ本当に嬉しかったんだ。。。

 

そう、何が言いたかったかと言うと、3/22KAT-TUNに心を持ってかれてたところ、引き戻したのが水曜バスケだったんだ。。。

mofumofum.hatenablog.jp

 

なんで懺悔かというと、それは昨日だった。もうギリギリだった。たった17日間だけだったのに。その間KAT-TUNやthe showに癒されてるかと思ったら違った。全然埋まってなかった。心。

アニバコン。自名義で初めて当てたLIVE。KAT-TUNに会えると嬉しかった。日程も同行者的にも厳しかった。入金締め切りは10日。

10日昼、有給の申請をして、忘れない様にと思ってた。でもダメだった。仕事が終わった瞬間から何故だか閑也君のことでもう頭が一杯で。気づいたらブログの定期更新日だった。

定期更新日の存在すら忘れる程に、色々諦め切ってたのに、脳味噌はやっぱり10日は閑也君仕様だった。その日の晩は久しぶりに過去のYouTubeなんか見ながら、幸せな気持ちで眠りについた。

翌朝、パソコンを開いて、あぁ昨日の有給申請許可してもらえたかな、なんて思って気づく。おい、お前、入金は???、、、最悪だ。心の余裕がないとこうなる。もう無理だ。本当に最悪だ。トラジャが戻ってくるまで余計な事はもうやめよう。本当に最悪すぎたので、いったん脳味噌に蓋をした。

 

そしたら、翌日トラジャの復帰の発表がされた。水曜バスケの出演情報が解禁された。幸せに包まれてた。脳味噌も蓋をしっぱなしだった。

 

だけど、ふと3/22を思い出す。皮肉な事に、前回KAT-TUNから連れ戻した水曜バスケは、トラジャに帰っていった私に、否応もなくKAT-TUNを思い出させるのだった。

 

 

あーーーーーーーーーー私がいけないんだけど、でもコロナのせいにさせてくれ。本当に最悪だ。反省。