もふさんの奮闘記

書いてみた。

ananとANEVERと日記と

今日夕方ふと今の幸せを噛み締めてオフィスで泣きそうになった。

将来俺は絶対幸せになる。そう言ってた閑也君に対して、どうしてもちょっぴり悲しくなってしまった去年。こんなにあなたは素敵でこんなに閑也のことが好きな人がたくさんいて愛しているのに、幸せじゃない、のか、、、って。

それに対して、26歳の誕生日、最近の忙しい期間らしくすごい勢いで、超幸せと言ってのけてた。その一言で私は幸せになって、心の中にはその幸福感で泣きべそをかきながらも、笑ってしまったのである。

そして待ちに待ったanan。カットの素晴らしさもさることながら、閑也君自身のファンに対する見せ方の拘り、メンバーに対する敬意を、いつもながら愛おしさと尊敬の念を感じながら読んでいた。記事に目を通す中で出会った一文。「俺は元太みたいに華があるわけでも、ちゃかみたいに天才なわけでもない。でも人それぞれ好みは違うし、努力で武器を身につけていく僕のような人を好きと言ってくれる人もいる。」

あぁ、届いた。と思った。大好きを受け入れてもらえたと思った。ホロホロと崩れゆく位、嬉しかった。

私はトラジャをアイドルだから好きになった訳じゃない。閑也君は誰よりもアイドルだけど、閑也君がアイドルだから好きになった訳じゃない。

輝きに辿り着くまでの過程を見せていただいているJr.という期間の中で、彼のまっすぐな信念と己を信じる力と、負けず嫌いと劣等感と、守るべき存在を守りたいという強い意志と、その全てが絡まった"人間らしさ"を垣間見て、好きになったんだ。

キラキラした姿だけが好きだったら、歯食いしばったりなんか絶対しない。自信と落ち着きが増した彼から出てきた言葉が、「努力で武器を身につけていく僕のような人を好きと言ってくれる人もいる。」で、本当によかった。(書きながらまた泣いてる。

彼は誰よりもアイドルだから、毎日投げかけてくれる愛の言葉も、対象は絶対「みんな」だ。だから、キュンキュンドキドキすると言うよりも、今日も閑也君が閑也君の望む、アイドルでいられて良かったな、という気持ちで読んでいた。

でもananを読んで、あぁ、閑也君の言う「みんな」は、ただの不特定多数の「みんな」じゃなくて、確実に「僕のような人を好きでいてくれる人」である私も入ってるんだぁ、と一気にふにゃふにゃと力が抜けてしまったのである。

私がトラジャを好きな理由のもう一つは、センスだ。今までは世界観という言葉を使ってきたが、センスなのである。ANEVERさんの映像作品を見てそう思った。世界観の表現というのは、隙の無いスキルだけでなく、演出が削ぎ落とされれば削ぎ落とされる程、生身の人間としての生、その生のセンスが試されると思っている。

人の顔にはその人の生き様が表れる。私みたいに何も考えてない下っ端の顔と、数多の困難を乗り越えてきた上位職では、顔一つで存在感が違う。

トラジャの顔、表現、ダンスは、ただかっこいい、ただ上手くなる為に、努力が重ねられてきたのではなく、沢山の世界、作品、目指すべきところを見て、そして嫌という程自分達と向き合ったからこそ生まれる、洗練された空気感、表現力があると今回とても感じた。

彼らのありったけのリソースと半年間、いや、全国ツアーができるようになるまでの全ての費やしてきた時間、経験を注ぎ込んだ全国ツアーを見て、とても安心していた。

しかしながら一方で、このデビュー発表後というセンシティブかつ1番盛り上がる時期にぶつけられる、沢山の各所のイベントに対して、心がざわめかないとは言いきれず、といったところだった。しかしながら、今回のANEVERの一件で、トラジャが確実に持ち得る、スキルだけじゃない、彼らだけの"センス"を、PIKOTAROぶりに再認し、今後何が起ころうと、私は彼らを信じていくだけだ、と覚悟を強くしたのである。

少し焦る気持ちの中で、トラジャにはトラジャの仕事が来るから、と案じていたら本当に来ていた。そしてそれはいつも予想を遥かに超える美しさ、若しくはあたたかさがあるのである。

話は少し戻るが、得てしてパフォーマーは世界観を作るために、別の何者かに化けてしまうことがある。現にファンに向けるカーニバル師匠の顔と、ドキュメンタリー内のリハーサル内の顔は全く違う。(タイムスシリーズ本当良いよね。

それだと単純に表の顔と裏の顔だが、本当に何かの作品を作る時、今回やPIKOTARO等、その際に求められるのは、吉澤閑也では無く、funnyの住民であったり、1枚の花弁であるのだ。

私は彼らがその花弁に化けるこの上ない技術を持っていること、そこに向けて尋常じゃない努力をしていること、そして美しい花弁であること、その全てが狂おしい程好きで、尊敬している。

ただ、「僕のような人を好きと言ってくれる人もいる。」その一言で、日々のあどけない、「みんなに笑顔を届ける!」が、現実味を帯びてくる。私の好き、が、あの美しい花弁の欠片にでも、なれ。