もふさんの奮闘記

書いてみた。

書くことについて考えた事

書きたい事を書いている事に変わりはないけれど、読んでもらう対象、書くにあたって考えている事はこの7ヶ月で変わってきた。

 

▪︎沼落ちブログ

▪︎プラットフォームにて

▪︎書くことの再開

▪︎頭の中の整理から派生へ

▪︎最近のお話

▪︎なりたい人になる上での良いツール

▪︎人の話が人を救うと信じてる

▪︎書く事について背中を押されているちょっとした事

 

▪︎沼落ちブログ

初めて書いたのは、5月。ジャニヲタ(他の界隈は知らないのでそうしておく) の文化の一つである、沼落ちブログ。今やnoteもちらほら見るが、ヲタクははてブロを常用している。

Travis Japan(私の推しグループ)について知りたい!とGoogle先生に問い掛けると、いつもベストアンサーはヲタクのはてぶの中にあった。

 

話しは戻り、そもそも沼落ちブログとは、どの様に推しにハマっていった過程を書き記すブログである。 (ヲタクが何かにハマる事を、深みにはまって中々抜け出せない事を比喩して、沼に落ちると言う。)

私もTravis Japanにハマるにあたって数々の沼落ちブログを読んだ。沼落ちブログを読むのは楽しい。今まで関わりのなかった人達が、好きな人(推し)の魅力に気付き、仲間になっていく様子を知る事が出来る。ヲタクにとっては、推しが誉められるし、ヲタクが応援して、そして推し達の努力が功を奏して、新規を獲得したというサクセスストーリーでもある。

私が沼落ちブログを書いた理由は簡単で、ファンとして忙しくも幸せな日々を過ごしている中で、好きになった当初の事を思い出せなくなってきたからだ。あんなに熱狂した瞬間を、感動を忘れる訳にはいかない。自分にとっては歴史的な瞬間だったので、書く事で過去を振り返り、ヲタクが沼落ちブログを読むのが好きな事も知っていたから、公表した。

 

▪︎プラットフォームにて

結果的に沼落ちブログは拡散され、ブログの存在により私が新規である事を知ったお姉様達に優しく声を掛けてもらい、ヲタク仲間の輪が広がった。楽しかった。

その次に書いたのが、就活ブログ。妹や学生のヲタク達が就活に焦りや不安を感じて筆を執った。自分自身にある程度ノウハウがあるので、ヲタクとしては先輩である彼女らに恩返しをしたいと思って、敢えて同じ、そして既に自分のもの以外なんでもないプラットフォームに自分なりの就活の仕方について、考えを書いた。

 

▪︎書くことの再開

忙しい日が続く。お休みを頂いて、元気になると、ふと、一つの疑問が湧き上がってきた。

何故、私はTravis Japanが好きなのか。今まで、何もハマって来た事が無いのに。そして、彼らを応援する上で、彼らにどの様な活躍を期待しているのか。

その謎を解き明かす為、考えて、整理して、書いてみる事にした。兎に角あの時はうずうずして、何かしたかった。それが、"書く"に行き着いた。

 

▪︎頭の中の整理から派生へ

Travis Japanに期待する事について書き進めていくと、私は自分の青春時代をTravis Japanに重ねている事が分かった。また、Travis Japanをきっかけに、エンターテイメントの面白さ、自身にとっての重要性に気がついた。

今度はTravis Japanに留まらず、ミュージカル、ジャニーズ等に思いを馳せ始める。そうするともうネットじゃ情報が足りない。本を買い始める。

買った本の中で気になる本があった。考え事を重ねる自分に一々響く。結果として、それに付随するエピソードを書いていく事になる。

 

▪︎最近のお話

色々あって、ブログを初めて違った使い方をしてみた。SNSで募ったアンケートを纏める場。SNSとブログを上手く使えた気がして、そして皆さんの貴重な意見が詰まった記事が、私の周りのちょっとした話題となった。嬉しい。

その後アンケートで得た回答をもとに、友人たちとの対話の中で、また改めて自分の考えを纏める事になった。友人の問いの中に、どういう人になりたいの?という質問があった。

 

▪︎なりたい人になる上での良いツール

自分の経験できない話を沢山聞きたい。人がちょっと経験できない事を経験してみたい。そしてその話を色んな人に伝えたい。それを自分のコンテンツとして誇れる様になったら嬉しいな。自分の経験が尊敬されなくても良い。ただ、ちょっと笑ってもらえたら嬉しい。

私が聞いた話を通じて、聞いた人がほーんと少し世界が広がったら嬉しい。何かを考えるきっかけになったら嬉しい。自分が話しを聞いて、自分が書かせてもらっても良い。話を聞く上でも、質問の仕方や相手との信頼関係を築ける人格等、うまく話を聞ける様に努力をする事で、なりたい人に近づけるかもな。

大人には、人それぞれの苦労がある。それを、短い文章を読む事で心が絆される。そんな、ちょっとふわっと心が軽くなって貰えたら嬉しいな。

ただ、それを実現するのは難しい。読みやすい文章を書かなければいけないし、常にインプットしなければならない。

でも、もしそれが本当に多くの人の心のちょっとした救済になって、お仕事になったら嬉しいな。会いたい人に会いたいところで会って、お話しを聞くのが、交際費になるのかな、なんてちょっと思ったり。笑

 

▪︎人の話が人を救うと信じてる

私は休職した時、どうしたら良いか分からなくなった。今まで目の前の事に全力投球で取り組んできた。自分にできる事、成果を出せる事、組織の中で重要なポジションを任される事、そういう事ばっかを考えてきた。自分で成果を出さなければ悔しがり、認められていないと感じれば、別に時間と場所を設けて、必死に練習したり、本を読んだり、別に自分が出来る事を探した。

でも今回ばかしは、悔しい思いは愚か、何をやっても駄目だった。あぁどうしよう。まだ元気がなかったから、転職サイトを眺めてみても、女性の管理職がいるところ、残業が多く無いところ、どうしても弱気な姿勢でしか仕事を探す事が出来ない。私の価値ってこんなもんなのかなぁ。今までやってきた事を無碍にするのか。ベッドの上で一人、転職サイトを虚に眺める日々。

そんな私を救ってくれたのは、他の人の話だった。職場の大先輩や、大学時代お世話になった先輩から有難い事に次々連絡が来た。元々良く私の面倒を見てくださる、大好きな方々だ。実はね、私も、俺も、数年前、数日、数ヶ月、休んでた事があるんだ。

驚いた。私がその方々の事が大好きなのは、私の面倒を見て下さるからだけでない。その方々が日々のお仕事で頑張って、なんだかんだ葛藤しつつも、プライドを持って前を見ている姿が輝いているからだ。だから、声を掛けてもらえると嬉しい。そんな方々も休んでいたんだ。

組織の中で輝いている人は苦労と努力こそすれど、折れた事は無いと思っていた。組織は一度折れたら戻ってこれない場所だと思っていたから。ただ、そう思うのも無理ないな、と思った。何故なら元気な時に元気な人は、折れた話をしない。よっぽど仲が良かったら別だけれども。だから知らなかったんだな。

あの人も、この人も、うまくいかなかったんだ。社会人として、会社に来れなくなったら終わり。毎日元気に来い。と若干切な表情で入社当初面倒を見てくれた先輩や人事に言われていた事を思い出す。きっと折れていなくなってしまった人がいて、その人がいなくなった事が、悲しかったんだろうな。と思った。

驚ろきと同時に大好きな方々が寄り添ってくれて嬉しいな。と安心した。その後襲って来たのは不安だった。私は今、その当時の彼ら、彼女らと同じく休んでいるけれども、今の彼ら彼女らの様にゆくゆくは仕事で輝いて、そして困っている後輩に手を差し伸べられる、そんな素敵な人になれる自信がない。不安で思わず泣いてしまった。

その時に掛けられた言葉を覚えている。彼ら彼女らを素敵だと思うのは、彼ら彼女らが辛い経験をしたからこそ、優しいからだよ。その時はなかなかその言葉をそのまま飲み込む事は難しかったけども、今ひとつ言える事は、その時にその方々から聞かせて貰った、普通は話したくない、超個人的な"うまくいかなかった"話は、入社3年目の疲れて絶望してた1人のシャカリキOLを救いました。

 

▪︎やりたい事と書く事の関係性

お休みの中でちょっと元気になって来た頃に、では、何をやりたいか、について考える事になった。劇場を持ちたい。という話になった。

昨日、友人の紹介で新たに友人になった方は、こう仰っていた。本を読んだらね。やりたい事を考える時は、自分ができるかを一旦横に置いておく。実現する手段は社会にあるんだよ。必要なのはきちんと言語化して、人に説明できる事。と。夢は口に出したら実現する。を噛み砕いた丁寧な説明だな。と思った。

事実、やりたい事について書いた時に、この人が良いよ、この本が良いよと勧めて頂いた。ヒントを与えて貰えた。居ても立っても居られない衝動に駆られたら、きっとその人にコンタクトしただろう。

ただ、その時私がとった行動はその人に会いに行く事ではなくて、本を読み続け、書き続けることだった。

新しい友人も言っていた。出来る事、慣れている事、(あともう一個なんだったかな、、、) 全ての掛け合わせがやりたい事だ。と。

兎も角、やりたい事の要素の中に、慣れている事が入っていた。書く事は慣れているかと言えば疑わしいけれども、こうやって書き続けている以上、慣れ親しんだ事ではある事だろう。

書く事を通じて、書く事が自分にとって慣れ親しんだものである事、そして自分なりの書きたい理由、書きたい題材、書きたい目的が見えて来た。書く事による効能が大き過ぎる。

(先程思い出せなかった話は、良い話なのに思い出せなくて残念だったので、彼が読んだと言っていた「世界一やさしい やりたい事の見つけ方」Kindleで買ってみたので、読んでみようと思います。)

 

▪︎書く事について背中を押されているちょっとした事

書きたいと思う理由は、読んでくれた方から連絡を貰う事で、その人との対話の機会を頂ける事、これに越した事は無いのだが、ふと先日、あぁ、ここにも毎日書いて発信して、導いてくれる人がいたな、と気が付いた。その人も職場の先輩だ。とても面倒見の良い先輩。その人が毎日送ってくださる内容は私だけ宛ではない。

そして業務内容でもない。組合の中心メンバー宛だ。その先輩だけ、その組合の話の中では、経験者だった。コロナでなかなか集まれない中、丁寧に考え方や実務面について、短い文章を送ってくださる。誰にも強制されていない。だけども志と熱いハートを持って、送り続けてくださる。その効果から、そのメンバーの動きはとても機動的だ。

経験をしていなくとも、ベースの考え方が共有され、トップの熱いハートが伝わっており、サポートも万全だ。そんなトップがいる以上、自分も何か動かなければ。必然的にそんな気持ちになる。そして一度も集まっていないのに、そんな思いは他のメンバーに共通していた。人の書く文章で、人の熱意でチームがビルドされた。文章の力は面白いし、凄い。毎日電話で細かく指示をされるよりも、短い文章を通じて出来たチームの方が心地よい。忙しい社会人にとって、おざなりになってしまいがちな活動さえも、文章の力で、心の繋がりが感じられる関係性になるのだ。