もふさんの奮闘記

書いてみた。

元気を無くすまで、それから回復するまでの記録

 

こんばんは。近況兼誰かの役に立つはずなので。知ってる人向け。

普通ならnoteに書くんだろうけど、趣味の方ではてぶろ書いていたので、その延長線です。れっつごー

 

18年で卒業してから、入社して2年半経ちましたねー 短い様で色々あるよね、きっと

 

▪︎仕事、楽しかったよ。

1年目は夏まで飲んで、秋もから次の春まで忙しくて、夏からコロナまでは平和に。

忙しい分は経験値に。入社配属の人事は、人が足りていなくて、過去の記録を見ながら新入社員なりに、周りに支えながら精一杯仕事を。

その経験を活かして、2年目は好きに予算を立て、採用イベントを開いたり、会社のペーパーレス化をしたり、楽しかった。コロナは今まで立てた採用活動の計画や新入社員研修が全部潰れたのは堪えたけど、オンライン化の舵を取れたのは良い経験だった。

 

▪︎念願の異動。どれだけ待ち望んでたか。

採用はじめ、人事の仕事は、最初はその立場の特殊さから、きついな、と思った事もあったけど、入社直後から大好きで、周りにも向いてると言って貰えた。

但、会社に入った理由は、異なっていて、ざっくり言うと貿易に携わりたかった。初期配属が人事だったのは、管理部門の中では1番嬉しい配属だったけれども、第一希望ではなかった。

そこから、大体2年と少しで異動のタイミングが来る。私もコロナで一か月遅れの、念願叶って8月1日付で異動の辞令を頂いた。

 

割りかし多くの会社もそうかもしれないけれども、比較的管理部門の地位が低い会社だったから、多くの方から激励の言葉で送り出して貰えた。温かい会社だ。

 

異動先は行けると思っていなかった華型グループ。チームは憧れを持っていた場所。大好きな上司に会議室に呼ばれ、異動先を告げられた時は本当に嬉しかった。

尊敬する先輩がいる部署。仕事の出来る、ただ後輩の指導は厳しいと有名な。大丈夫だと思ってたよ、それでも。

 

▪︎はしゃいでたところから一転

結論から言うと、10月から1ヶ月休んで、11月になった今、全然違う部署にいる。でも良い経験だったと思ってるし、この話は絶対人の役に立つと確信しているから書いてる。何故なら、私自身も他の人のこう言う話を沢山聞いて本当に救われたから。誰しも休みが必要な時、向かない場所ってあるんだね。

 

コロナじゃなかったら、違ったのかな。でもきっとコロナじゃなくても、駄目だっただろうな。仕事が忙しいのは人事時代もそうだったし、耐えられたけど、1番どうしようもなくなるのは人間関係なんだって。まぁこうなった背景を人間関係の一言で片付けるのはシャクに障るけど。

 

本当にぶっ倒れる前、心療内科に掛かる前にこの環境から抜け出せたのは、追い詰められた経験がある後輩の話をリアルタイムで聞いてたから。

人事だから、職場環境として何が正解か不正解かも理解していたし、寝れなくなったら追い詰められているので、そこでもう逃げて下さいね、と言って貰えてたから。恵まれてるね、本当に。

寝れなくなったし、生活もままならない程追い詰められたし、もう止め止め、となった日は、退職願の事しか頭になかった。

 

▪︎辞めようと思った

本当の本当に偶々私が元人事で、その時の上司が今部長で、その上司が人望に溢れていて、私もよくコミュニケーションをとっていたから、辞めずに異動という形になった。けれども今回の一連の流れのゴールはひとまず退職だった。

 

しんどいなと感じ始めた時からずっと転職の事は頭にあった。そもそも異動先の仕事がしんどいという事は理解していて、去年の時点で異動前に辞める事も頭をよぎっていた。ただ、やりたかった仕事だったから、一回ひとまずやってみようと。

 

やってみてしんどかったから、仕事しながら転職しようと思った。だけど仕事がどんどんしんどくなると転職活動する余裕すらもない。ただ逃げたい。しんどい。そんな思いから、辞めよう。その決意だけが固まった。

 

▪︎書いててまーじでしんどくなってきたので、途中で止めます👐パァ 気が向いたら続き書くよ👐

 

本当は何が起きたか、とか、それに伴ってどう言う心境の変化があったのか、を書いて、似た心境の人は休んだ方が良いよって啓発したかった。

 

ここで終わると救いが無くて最悪だから、ハッピーエンドって事だけ。元上司の取り計らいで、希望の管理部門に異動させて貰って、管理部門のみなさんからwelcome backと温かく迎え入れて頂いてます。仕事も沢山ありそうだし、暫くはそこでまたばりばり頑張るつもり。

 

それではまたいつか👋