もふさんの奮闘記

書いてみた。

ソウルフル・ワールドと私

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見終えました。ここ半年どう生きれば良いかずっと頭を抱えていた私、を、隣で黙ってずっと肯定しつつ見守ってきた後輩から勧められた映画。

そんなうだうだ考えてしまう貴方には、ソウルフル・ワールドを勧めたい、と。

映画の趣旨としては、人生には職業単位での目的など無く、当たり前の生活の一瞬一瞬が煌めきで、それを大事にすれば良いんだよ、というものでした。

題材は違うけど、about timeを思い出した。

この映画を観た後の正解の感想は、目の前の現状や職についてうだうだ考えるのでは無く、日々生活できている今が素晴らしきもので溢れてるんだから、小さな幸せに目を向けよう!なんだろうと思う。

でも絶賛考え中の私はやっぱりまだ色々考えてしまうんだ。

というのは一旦置いておいて。PIXARの映画って子供向けだと思っていたけど、大人が見るからこそ色んなものを考えさせられる作品なんだなぁと。

一概に子供が楽しめるエンターテイメントこそ、大人になった今、まっさらな気持ちで自分の中に抱えているもやもやと改めて向き合う機会を提供してくれるものなのかもしれない、と。

あとは、この職・夢・生活といった普遍的かつ掴み所のないテーマを分かりやすく表現する上での、発想の柔軟さ、世界観の独自性、表現の細やかさ、PIXARぁあとなりました。(語彙力の不足) 心持ちという形の見えないテーマにアプローチするとても素敵で高度な作品なんだな、と。分からないながら、思いました。PIXAR凄いぞ、、、

内容の話に戻ろう。この映画の中に出てくるきらめき、単に当たり前の日常に潜む幸せそのもの (これがメジャーな解釈だと思う。) ではない、と思った。

当たり前の日常に潜む幸せそのものがきらめきなのであれば、22番はじめ、生まれてくる前の魂達は探す必要がない。

つまり、きらめきを得る瞬間とは、"気付き"なのである、と。何に心をときめかすか、という"価値観"の様なものであり、"目的"では無いし、特定の職業なんて言うのは、目的の更に一段下にある"手段"にしか過ぎないのだ、と。

職業という手段によって自己実現を果たそうとしていたジョーは、この間までの何の職種につけば自己実現が出来るか、頭を抱えていた自分かの様に思えた。

それと同時に、それぞれの生前の魂には、特定の経験をきっかけにきらめきが生まれるわけで、ジョーの場合のきらめきとは一体何だったのかが気になった。(作り手側が観客に想定する着眼点とはズレるだろうが)(とことん私理屈っぽいな

また、ジョーがジャズピアニストという彼の人生の目的、夢に辿り着いて初めて目が覚めた通り、人間取り憑かれている何かに対し、自分の納得する域まで到達して初めて、目が醒める様な生き物なのだ、と。

あのシーンを見た時に、とある30歳のお姉さんから言われた印象的な一言を思い出した。30歳になるとね、色んな背負ってたものを降ろして楽になれるって芸能人が言ってたから、少し期待してたの。でも何も変わらなかった。あれは、20代死ぬ程もがいた人が到達する境地なんだと思う。だから、20代もがけるうちに、もがいておきな、と。

私は、自分自身を、ようやっと、職業やステータスといったポジションではなく、自分自身がのめり込める状態、価値観の様なものに近づけたと思っている。だから、それを実現できる手段を早く見つけて、そこで納得できるまで働いてみたい。

そしたらまた、ジョーの様に目が醒めるかもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。それはその時になってみないと分からない。

人生を選ぶのか、生活を選ぶのか。今恵まれた生活の中でも抑えきれないもやもやを抱える20代として、やはり仕事で活躍したい。やらない後悔よりやる後悔で、まだまだ広がる可能性の海を泳いでいきたい。

私には今安定している仕事もある、相手もいない。トップ企業で活躍している友人もいれば、地方で夢を膨らませている腹心の友もいる。まだまだ面白い事はある。きっと大丈夫。やりたい事はいくらでも思い浮かべても、実行しても良い。前を向いて行こう。