もふさんの奮闘記

書いてみた。

ここんとこの記録 - ただの考え・感情のメモ

4連休 - トラジャはどうしたら、より多くの人数にアプローチできるのか、真剣に考えていた。トークやバラエティ、他のグループとの差別化など、さまざまなことを考えた結果、彼ら自身が情熱を注いでいるダンスを、コンテンツとして、魅せるだけでない、言語化をしたら面白そうだと思った。

 

あの日 - 一部始終を見た。泣かなかった。のえまるを読んだ。号泣した。私が彼らに出会ったのはスノストデビューウィークだった。まだ痛々しい傷が完全には癒えていなかった。癒えていたのかもしれないけれど、前を向くという方向性は決まっており、そこを実行している最中だった。前に進む時は苦しい。すぐに結果はついてこないからだ。自担が落ち込んでる中、私なりに必死に応援した。

そしてやってきたメーデー。不安なんかなかった。配信でオーラスを見た。彼らは彼らに自信があったし、私は彼らに自信があったし、彼らは彼ら同士で愛し合ってたし、彼らと私らもまた、愛し合ってたからだ。

そんな事トラジャ担全員知ってた。でもいざ、丁寧に言葉にしてもらえて、本当に嬉しかった。一緒に頑張ってきたから、これからも大丈夫と頭を撫でられたような気がした。とても良い時にトラジャに巡り会えて、本当によかったなと思ったし、今後デビューに立ち会える際に、嬉しさで壊れてしまうんじゃ無いかと思った。

 

考えた - とは言え、考えざるを得なかった。どうしたら一刻も早く、彼らが私らが望むデビューを実現させられるのか。ひとまずできる事を手当たり次第やってみた。

閑也担と連絡を取る中で、やはり私を焚き付けるのは負けず嫌い、があるのだな、と思った。昔から悔しさをバネに頑張るタイプだった。

高校までは勉強を、大学時代はダンスを、この間までは仕事を、精一杯頑張ってきた私が、何故今一番心を燃やしてるのがここなのか、そのヒントが少しあるような気がした。

ダンサーたるもの、客から見える立ち位置に立ちたいものである。そんな中、その立ち位置に、そして選抜に選ばれないと知った時の、一気に吐き気が襲ってくるような絶望。バレエ時代もジャズ時代も何度も経験した。

だから、初回ROTで足が動かない閑也くんをみて共感し、8.8を知った時も同じ絶望感をトラジャに感じた。そこがスタートだった。

 

文脈の難しさ - あの一件で、1番最初に襲ってきたネガティブな感情は、よその人に心配されたくない、だった。だって当の本人と我々が、1番心配が無い事が分かっているのに、可哀想と言われる筋合いがないのである。

私自身負けず嫌いなので、なけなしのプライドに対して、可哀想を連呼された瞬間に、もうごめん、なのである。

これとは別で、Twitterを見ていたら、推しの顔が良すぎて死ぬ、問題について言語化している文章があった。書かれてる内容としては、そんなのジャニヲタ歴1年半(もう1年半も経ったか!)でも何億回と考えてきたわ!という内容だったが、改めて文章化、言語化する重要性を感じた。

前に自分が言語化したり、制作した布教の類はVSなにわだったり、8.8の苦境からの進撃を題材にしたものだったので、少々古くなっていた。何故ならばなにわとトラジャは違う道を行き、もうafter 8.8ではなく、彼らは紛れもなく次のステージに立っているからだ。

だが、書いてみた結果、結局誰にでも分かりやすい文章となると、山あり谷ありだけど素晴らしい技術と志で頑張ってます!になってしまう。オリンピックの映像で涙するように、それで良いんだが、それでは違うのだ。悔しいかな、地上波に行ってナレーションが多くなってしまったそれスノのように、一般化させると、エッセンスが薄まってしまうのも事実だと思った。

もっとトラジャの現在の真の魅力を1人でも多く伝えられるように、言語化を繰り返して、的を得た言葉を綴れるようになりたい。

 

ダンサーが燃えるダンス - BSフジさんのあの番組についての詳細は、また別途書きます。ただ一つ今ここで書いておくことは、あれを見てくださった、長年のダンス仲間が、あのパフォーマンスを見て、踊りたい意欲が刺激されていた、という事。

私自身も昨日は練習帰りだったが、あれを見て、あぁ今日も自分が踊っていられる身で、すごい幸せだったな、と、感じてしまったのである。

ダンスが好きだから、ダンスの好きなトラジャを好きになったのだけど、トラジャの高度なダンスを見て、より一層ダンスの事が好きになってしまったのである。ダンスってこんなに面白いんだ。こんなに面白い表現ができるんだって。

トラジャのダンスを見て、興奮してる自分に我に帰り、自分がこんなにもダンスが大好きだった事に気付く。嬉しかった。23年間付き合ってきたものだから。

ありがとう。トラビスジャパン。