もふさんの奮闘記

書いてみた。

危ない危ない

「頭の中で話す言葉には気を付けてね。」これは、全速力ダッシュをカマしてた3月頭に、10個上のバレエのお姉さんに言われた言葉。

だけど書きながら思い出した。年末年始に後輩とも言ってたし、割と焦ってた時の周りからも言われてた。

5月は穏やかに過ごしていた。大きかったのは沈んだ4月に動いて出会った方々に「勢い良く動け。でないと勿体無い。」と言われた事に対して、納得いかなかったからだ。

他人様に幸せを定義されてたまるかよ。と思った。なるほどね、幸せをどこに置くかって言うのが、自由に生きるって事か、とも思った。

自我。

仕事が比較的充実していたのもあり、淡々と日々を過ごしていた。

だけど、今考えると結構やばかったのかもしれない。ずっと頭の中で「死にてー」「もうだめだー」「最悪だー」と言ってた事に、実家に帰って気付いた。

何が原因だったか分からないんだけど、多分クセだと思う。少なくともしんどかった時期は、頭の中で高速で「死」が連呼されていた。そして死ぬ通り越して死んだ方がマシだ。と思って、逃げた。

まぁなんだか分かんないが、兎に角5月は穏やかに過ごしてるのに、頭では平和な事が分かってるのに、もう嫌で嫌でしょうがなかったみたいだった。

引きこもって仕事してるってのもあるでしょうね。

実家に帰って寝て朝起きて、ぼーっとしながら、洗濯物を畳む為に洗濯物に手を伸ばした時に、「あ、これやばいな」と気付いた。

のも、正直今の今まで忘れてた。

Twitterで出会った希死念慮という言葉を見つけて、あーーーーーーなるほど。死にてーって一動作の度に思うのはやっぱ異常だったよねーーーよかったーー異常って気付けて。

普通に嫌な気持ちだし、よく後輩にも平和な日常だから、次の波乱が起こる前に死にたい的な事を言ってたけど、やっぱ色々駄目だったんだな〜と気付く。おかしいわね。

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実家に帰って、発表会のお手伝いで仲間たちに会う。最高だ。仲間っちゅーもんを感じる機会が今はほぼない。それこそサークル位、だと気付く。コロナ前まで会社全員仲間だったのに、なんて。仲間意識を感じられる場所で働きたいな。結婚したら田舎に住みたいな、なんて思いながら実家から出社したら東京駅の人混みで絶望した。初めてだった。今まで、ずっと憧れて3年通っても、復職直後もワクワクする朝の東京駅にこんなに絶望したのは今朝が初めてだった。

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でも不思議なもんで、仕事嫌だなーって考えてる分、段取りが組まれてる訳だから仕事がスイスイと進む。全速力で仕事が出来るのは出社のお陰だ。だって上司が隣にいる。こんな素敵な事ぁ無い。疲れるけど、元気になる。

疲労は溜まる。朝イチで打ち合わせた内容のフィードバックが専門家から来た。

何回かダメ出しされ、電話で半ば呆れられながら何回も質問して、何回も上司と練った内容。やり切った感で提出したアンサーは、よく内容が充実しましたね。コメントはありません。

やったぜ、やり切った。

久々に仕事で嬉しかった。同じ会社の中でまた仕事に喜びを感じられる機会が来るなんて夢にも思わなかった。本当に嬉しかった。

(返信忘れてたの今気付いた。明日の朝返す。)

まぁ明日の上への説明で全部白紙に戻るかもしれないが、仕事で喜び体験ができたのは大きかった。

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そんなこんなで割とほくほくで帰ろうとした。後輩と一緒になった。そもそも誰かと帰り道一緒になるなんて、まず無いから、お互いの疲労を労いながら帰るかーなんて思う。

あぁそうだった。彼はあの部署の私の後釜だった。

異動じゃん!そうっすよ!あーーー。と言いながら、異動前の不安を思いだすと自然にその部署の事、人間関係、辛かった事、困ったら誰に助けを求めれば良いかを話していた。

淡々と話せた。笑っちゃうくらい思い出せた。普段1ミリも考えないのに。

どんどん顔が曇っていくね。いいよ、もう話さないで、と言われたけど、話さずにはいられなかった。もし困ったら誰かに助けを求められる様に、そして一刻でも早くその仕事に対して、分からない怖さを乗り越えて、楽しめる様に。

勿論帰ったらげっそりした。そしてしみじみした。

色んな話をしたが、彼も苦労人で後輩とは言え歳は上で、先輩も歳とったっすね、なんて笑いながら別れた。

言葉に出来ない感情があるもんだな、と思った。

なんとなく、ストーリーにテキトーな言葉をポストした。

言語化に拘ってたけど、言語化せずにしみじみ感情を味わえるのが大人かな、なんて思ったりしてた。

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なのに、なんで書いてるのか。

さっきの希死念慮のくだりを経て、あーーーーーやっぱ駄目だ駄目だ。書いとけ書いとけ。と思った。

前に冒頭の人たちから、大切にしてる事はなんですか?って聞かれた時に、ブログ見返してみたら沢山書いてあって、膝を打ったから、希死念慮があったって事を記録しておく事に意味を感じた。

なのでどうせなら、言語化せずに余韻を味わってた感覚達も併せて書いておく。

少しずつね、どっかに置いておかないと。溜め込んどくといつか溢れ出して、感情の渦がよく分からない方向に、物凄い勢いのよく分からない行動という形で突出するからね。

まぁその行動の結果は悪い事じゃないんだけど、自分自身をコントロール出来なくなるのは悪い事だからさ。

なんでこんなとこに書くのかってのはだな、ここが1番書きやすいんだ。見るのも見ないのも人の勝手だし、もしかしたら誰かの心を救うかもしれないし。傷つけやしないだろう。

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最後に、うわーーーって落ち込みたくなる時、それは割と年上の男性に怒られた時だったなと、薄々きづいてたし、昨日のお風呂の中で気がついた。元々女社会出身、周りの友人も女兄弟がいる人たちだったから、社会に出てしんどかったけど、慣れて来たと思ったら、あんな事があったり、コロナがあったり、わたしゃやっぱ相当信頼してない限り男の歳上の人は怖いや、なんて思ったりした。

小心者だなぁと思った。帰り道も言ったら、知らなかったと言われた。

小心者はなかなかビクビクしないといけないんで、しんどいし、卑屈になる機会も多いし、更に私は怠惰だから余計タチが悪いんだけど(これをずっと頭のなかで連呼してた5月だった

だけど、だから異動する前の後輩に話をするし、学生ちゃんの力になりたいと思うし、女の子の味方でいたい、と思うんだな、とこの間の父の言葉で気がついた。

〜してあげたい。は、〜して欲しかった。の裏返しだと。

だから小心者で良いんだと思った。怠惰なのはいただけないけど、今日はもう疲れた。

こんな日もどんな日も、アイドルよりも生の人間、だけど離れた人間を見られるネットは気楽だ。