もふさんの奮闘記

書いてみた。

担当

頓挫してたフロムの「愛するということ」、を読んでいて

「誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。」

とあって、あぁ、全ての担当を持つヲタクに言えるなぁ、と思った。

 

担当を決めるまでに半年近く掛ける人もいる、担当を決めない人もいる。

「担当」不思議な言葉だ。確か1.2ヶ月前、担当とはなんぞや、という話を何人かとしていた。

それだけ、ヲタクにとって、「担当」という言葉は大きいものである。

同担拒否と言う言葉が存在する通り、割と「担当」と言う言葉は、何かを好きである「ファン」よりも、更に一歩踏み込んだ、特定の誰かに愛を誓う様な、そんな言葉な気がする。

事実私も閑也坦として、という言葉を使うし、逆に閑也坦のくせに案外誰でも好きなんですね、と言われたり、閑也担としてもっとこうしてください、と言われたりもする。

ちょっと窮屈だよ、おい。と言いたくなる事もあるが、それはつまり、それだけヲタク達が担当という言葉に、一定程度の愛や忠誠心というものを前提にして捉えてるからなんだろうな、と思う。